どうもこんにちはしらすです。
今日は気分を変えて図書館からブログを書いています。
昨夜は夫となんだか話の流れで「どういう子育てをしていきたいか」議論で白熱しました。
寝る時間が日付超えてしまうくらいの白熱ぶり…。今めっちゃ眠いです(笑)
でもお互い「今まで生きてきて何を"大事"として捉えてるか」価値観の部分がよく見えてきて面白かったです。
自分自身も人に話してみて初めて気付いた気持ちもあったので備忘録として残しておこうと思います。
共通してたのは「個人の人権の尊重」
夫が言っていたのは「親と子は別の人間だから"こういう子に育って欲しい"という願いの方向性を示すことすら親のエゴだと感じる」とのこと。
優しい子に育って欲しい、友達に囲まれて活発に生きていって欲しい…それすら子供自身が決めていくことだというのです。
私が思っていた以上に夫の中では自他境界がはっきり分かれてるんだなという印象でした。
よく「自分が野球大好きだから子供にも野球をやって欲しい」って言うお父さんも多いですがそういう感情はあんまりないみたいですね。
自分が今まで生きてきて良かったこと・悪かったこと・学んだこと全て伝えてはいくつもりだけど、それをどう感じ選び取っていくかは全て子に任せたいと言っていました。
夫と比べると私はまだまだ自他境界が曖昧になってしまう部分があるので見習いたいなと思いました。
とはいえ自己紹介でも一貫して言い続けていますが私は人があまり好きじゃありません。
「変わってるね」と言われることも多いですが、人間より動物(特に猫)の方がよっぽど好き。
だからなのか気持ちの入れ込み具合というか共感性が人間に対しては割と薄い方です。
よく聞く「我が子は自分の分身」「我が子の痛みが自分の痛み」みたいな感情はあまりピンと来ません。(産まれたら変わるのかもしれないけど)
私の痛みは私の痛み。子の痛みは子の痛み。
サポートすることは出来ても向き合っていくのは本人にしかできないから「代わってあげたい」という感情は湧いてこないです。
うーん。母親になる身としてどうなんだと思うこともあるけどこれが本音だから仕方ない。
夫とはまた違ってすごくドライな捉え方になるかもしれないけど私は私なりに「子には子の人生がある」って根本的に思ってるような気がします。
夫婦で違っていた価値観
夫婦で話し合って顕著に違っていたのは「和をもって尊しとなすか否か」というところでした。
夫は今まで生きてきた経験の中から「和を乱すことは良くない」という意識が強いです。
自分の言いたいことを言うよりもまずは相手を思いやり「和」を尊重し、時には我慢することも必要という考え。
そのお陰か夫はすごく周りがよく見える人で小さなことにもすぐ気付ける配慮名人です。
一方私はというと割と真逆。
「和」を重じるあまりに言いたいことも言えなくなるようならハッキリ言いたいタイプです。
それによって不備や不具合が起こったならばどんな目に遭おうと責任は取るという考え。
「言いたことは言う、でもいけないと思ったらすぐに謝る・撤回する」それだけ守るようにしてます。
海外は分からないけど少なくても日本では夫タイプの方が主流だし、生きやすく皆に好まれやすいのも夫タイプだという自覚はあります。
そうじゃなかった私は当然嫌われることも多かったし、目をつけられる経験もたくさんありました。友達もめっちゃ少ないし(笑)
それでも私はこの性格で良かったと思う面も少なからずあるから変えるつもりはないし、一長一短なんだと思います。
どちらを否定するでもなく「うーん俺はそう思わない」とか「私はこう考える」とか
真逆の価値観の人とガチディベートできたことがめちゃくちゃ楽しかったです。
「真剣10代しゃべり場」みたいな話し合いの場がすごく好きなので「真剣30代しゃべり場」って感じですごく面白かった…!(笑)
ちなみに子にはお互いの良いところを吸収してもらえれば…と思っています(笑)
夫の価値観に触れたエピソード
「和」の話をキッカケに夫の価値観形成に触れる話も聞くことができました。
夫は幼少期から勉強ができなくてお義姉さんとよく比べられたと話していました。
親から「お前はバカだ」「バカなんだから勉強しろ」と散々言われてきたと言います。
学生時代の夫は「自分はどう頑張っても勉強ができない。ならどうするか」と、勉強ができないことを認めて解決策を模索したそうです。
「自分はバカだからこれからも人に色々教えてもらわないといけない。そのためにどうすれば人と円滑なコミュニケーションを築けるか考えよう。
勉強ができない分、所作振る舞いやマナーの面で挽回するしかない」と考えたそうです。
それが今の夫の「和を重んじる精神」の原点に繋がっているそうです。
夫が挽回するために身につけた「細かいことにも気付けるきめ細やかさ」は妻の私から見ても目を見張るものがあります。
私の両親の夫への評価は絶大なものがあるし、会社で夫を慕う人もたくさんいます。
「この考えに辿り着くまでにかなり苦労したし、時間を要した」と言っていたのでその苦労は並々ならぬものだったんじゃないかなと思います。
マナーも協調性も気遣いも欠けまくってる私からすれば単純に「凄いし、憧れる」の一言です。
「自分の苦手を別の部分で補う力」の底力を見た気がしました。
「人がどうしてその価値観を持つまでに至ったか」の一連の流れを目の当たりにして、なんか月並みな言葉ですが感銘を受けました。
「子育て論」から飛躍して夫のそういった話も聞けたのが何より嬉しかったです。
私の中の「子育て論」の結論
そのあとも色々脱線しながらたくさんの話をしました。
正直「親」になることに対してしっかり向き合って考えてる夫に圧倒された部分もありました。
そんな夫とは対照的に私の子育てに対する意識なんて風が吹けば飛んでいってしまいそうなくらい軽いものだなとも思えてきました。
元々自分の人生が制限されてしまうような気がして子供を作るかどうかすごく悩みました。
結局不妊治療までして今、こうして妊娠してるわけですがやっぱり
「親としての自覚」「母親だから頑張らなきゃ」みたいな意識は恐らく人と比べてだいぶ薄いです。
無理なら無理って言うつもりだし、自分が壊れるまで頑張る気もないし、逃げたくなったらいつだって逃げてやるみたいな意識は今も常にあります。
だから「どういう子に育って欲しいか」なんて今から悶々と考えてたってどうせロクなことにならないし。
私みたいなタイプは元々子育てなんか向いてないんだから考えてもしょうがないだろ!という思いもありました。
最終的に
「私自身が楽しく生きてたら、子がそこから勝手に何かしら学びとるでしょ!」
という結論に至りました(笑)
なんか「お母さんがご機嫌なことが一番」なんて文言もよく見るし、
どうせグルグル考えたって現実うまくいきやしないんだからもうそれに全振りしてればいいかなというシンプルイズベスト。
「子が産まれても私は私の幸せを第一に考えよ」ということで落ち着きました。
ネガティブなイメージばかり浮かんでた子育ても「それなら私にもできそうだしやりたい」ってやっと思えたんですよね。
母の生き姿を見て良いところは参考にして、悪いところは反面教師にして自由に取捨選択していっておくれ…という完全子に任せるスタイルでいこうかなと…。
それが吉と出るか凶と出るかはわかりません。
産まれてみないと、育ってみないと分からない。
でもこれも夫が培った価値観同様、私が今まで生きてきた中で培ってきた価値観だから今更どうこう変えられないと思うんですよね。
もうこれしか出来ないからそうするしかないよね、みたいな感覚です。
夫に話したら「それはそれですごく大事なことだし良いと思うよ!」と言われたのでヨシということにします(笑)
夫婦の中の結論
最終的にはありがちだけど「子が自分の気持ちをちゃんと言葉ににして伝えられるようになること。やりたいことを見つけられるように様々な経験と選択肢を提供してあげたいね」
ということが夫婦の共通事項として固まりました。
それを夫は自分なりの形で伝えられる限り伝えていきたいし、私は自分自身が人生楽しむことで伝えていきたいという話になりました。
これから「子育て」という共同プロジェクトを行う中で、当然夫婦の価値観は違うから
ぶつかり合う回数もすごく増えるんだろうなとなんとなく危惧していました。
それでもそこに辿り着くまでのプロセスは違えど共通の目標を再認識することで避けられる衝突もあるなって今回話してみてすごく思えました。
睡眠時間を大幅に削って白熱したトークでしたが、子が産まれる前にこういった共通認識を確認できたのは本当に良かったなと思います。
実際子が産まれたらまぁ〜〜話し合ってたことも夢物語というか、うまくいかないことだらけになるんだろうなとは思うけど
その都度立ち止まって話し合えるようではありたいなと改めて思いました。
なんか読み返すと私すごく自己中発言オンパレードな気がしてソワソワしてるけど…まぁ生粋の自己中だからしょうがない。開き直ります(笑)
白熱トークで寝不足+体力消耗した30代夫婦、翌朝はどちらもヘロヘロしてました。
これでこの有様って夜泣き始まったりしたら先が思いやられるな…って思っちゃった(笑)
まぁそんな感じで今日はこの辺で。
ではではかしこかしこ。
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