向いてないけど、母になりました。

ことごとく育児に向いてない30代女の日々奮闘記

生後7ヶ月 完ミ2回食 1日のルーティン

はいさいどうもしらすです。

前回までダラダラと重め(でもないか)の話を書き連ねてしまったので

今回は久々に1日ルーティンでも書こうかなぁ〜と思います。

以前生後3ヶ月時の1日ルーティンを載せたんですが生後7ヶ月となった今、

自分でも驚くくらい生活が変化しました。

もうあの頃の記憶があまりありません(笑)どんどん更新されていく日々。

humukimama.hatenadiary.com

 

ということで3ヶ月時との比較も兼ねて記録していきたいと思います。

ではゆきます。

 

子生後7ヶ月後半しらす家1日のスケジュール

※現在の寝室状況

生後3ヶ月時は添い寝窒息予防としてベビーベッドで寝かせてたんですが、今は大人の布団の隣にベビー布団を敷いて並んで寝ています。

一時期家族3人川の字で寝てるときもあったんですがあまりにも夫のイビキがうるさすぎて夫強制退去(笑)

もう夜勤(夜中のミルク)もなくなってますが新生児期同様、私と息子の2人で寝てます。

 

5:30 息子起床

誰よりも早く息子が起きます(笑)

ずり這いができるので布団から移動してひたすらフローリングの床をブッ叩き始めます。

6時まで無視します(笑)

ここで一緒に起きて早朝起きが定着されても困るので基本寝たふりをします。

30分間真っ暗な部屋の中フローリングをぶっ叩く音だけが響き渡ります(カオス)

 

6:00 夫・しらす起床

夫が起床して2階から降りてきます。

そこで私も起床。(いや厳密には5時半から起きてるけどな)

生後3ヶ月時同様、夫は朝シャン→自分の朝ごはん(味噌汁作っておいてくれる)→身支度→ゴミまとめ→捨ててくる→洗濯物を干すまでやってくれます。

その間に私は息子のオムツ替え、ミルクと離乳食の準備をして与えます。

 

ちなみに離乳食は毎週日曜に1週間分を夫と一緒に作って冷凍保存してます。

初めは全て真似すればいい離乳食レシピ本を参考にして作ってたのですが

徐々に息子の食の好みも出始めてきてレシピ本丸パクリではうまくいかなくなってきました。

今は複数のレシピ本やサイトから作りやすそうかつ食べそうなレシピを引っ張って真似して作るようにしてます。

なので正しい栄養バランスで作れてるかどうかは知らん😇

 

↑こんな感じ。

量が多くなってきたので今は夫と手分けして作ってますが初期は全て夫が作ってました。神か?

ちなみに全然ベビーフードにも頼ってます。

夫婦どちらも果物が好きじゃないので果物系は基本ベビーフードが多いです。

 

6:30 1回目の離乳食&1回目のミルク

準備が整い次第、離乳食をあげます。

ありがたいことに嫌がらずしっかり食べてくれます。

今のところかぼちゃとか甘い系の野菜、肉、魚は好きそう。

逆に納豆、オクラなどネバネバ系が嫌いな模様。食の好みが私そっくり(笑)

お粥は2口続くと怒るので必ずおかず→お粥→おかず→お粥の順であげてます。

(そしたらまぁなんとか食べる)

↑一例。

美味しいのか不味いのかもっと食べたいのかお腹いっぱいなのか分からないけど後半からひたすら「まんままんま!!」言って食べてます。

まんまんま叫びまくってるけどスプーン差し出したらちゃんと喰らいつく(笑)

今は食事を楽しんでもらう方が大事だそうなので泣いちゃったら残っててもそこで即終了→ミルクにしてます。

完食するときもあれば残す日もあり。

 

ミルクは今のところ1日5回。

離乳食のある時間は200ml 、ない時間は220mlで作ってます。

離乳食がある回は200ml完飲することもあれば100〜160mlくらいで終わることもあります。

最近は1日トータル850〜950前後で1000ml飲むことはなくなってきました。

この時期のミルクからの栄養は8割程度って本で読んだのでまぁいいのかな?分からん。

 

7:00 夫出勤&お遊びタイム

ここで夫が出勤。見送ったあと息子とのお遊びタイムに入ります。

(その前に離乳食でレティナとテーピングがビチャビチャになるのでギャン泣きされながら張り替えます。←1日で1番嫌な作業)

ずり這いができるようになったタイミングでプレイマットとベビーサークルを購入したので基本その中で遊びます。

↑組み立て直後の写真。普段サークルの中はおもちゃで溢れ返ってます。

ちなみに我が家は夫が仕事から帰ってくるまでラジオで過ごします。

いつもありがとうFM79.5…(居住地域がバレるw)

息子がおもちゃで夢中になってる隙にポチポチX開いたりしております。

なるべく携帯触ってる姿は見せないようにする謎のポリシー。でも携帯触らないは無理(笑)

 

8:00 寝かしつけ

大体8時前後になってくると眠くなってきてグズグズしだします。

そしたら隣の寝室に移動して寝かしつけ開始します。

3ヶ月当時は抱っこじゃないと寝てくれませんでしたが今は

①絵本を読んで②Nクールブランケットで包んで③添い寝して胸トントンで寝ます。

この3行程がルーティンになってます。1回の寝かしつけにつき2〜3冊絵本を読みます。

私が五味太郎さんの絵本が好きすぎて五味太郎作品多め。

3ヶ月当時は1冊も絵本持ってませんでしたが、今では数冊購入しました。(ほぼ五味作品)

引き続き図書館で毎回10冊借りてるので家には常に17〜8冊ある感じで回してます。

 

↑(私の)お気に入り2冊。考えるな感じろ系絵本。

息子も笑ってくれるので多分好きはなず(笑)

 

8:30 朝寝

日によりますが大体1回の睡眠につき1時間〜1時間半寝てくれます。

朝は8:10〜8:30の間に必ず寝てくれます。だいぶ生活リズムがついてきた嬉しい。

息子が寝てる間に離乳食食器と哺乳瓶の片付け、自分の朝ごはん、洗顔、歯磨きを済ませます。

ちなみに朝ごはん内容は夫婦バラバラなのでお互い個別に用意します。

(午前中に出かける場合はこの時間で化粧などの身支度も済ませます)

 

10:00 息子起床 2回目のミルク

大体10時半までに2回目のミルクをあげます。220ml完飲。たまに残す。

午前中に出かける場合はこのあとに出かけます。(買い物、病院等々)

行かない場合はまたベビーサークル内で遊びます。

ずり這いの練習もして欲しいので後ろにつきっきりでサークル外を遊ばせたりもします。

目を離すとフローリングに頭強打するのでしっかり監視。

 

12:00 昼寝

息子の場合、ウルトラマンの如く活動限界時間がきっかり2時間なので基本的に2時間起きたら寝かしつけを繰り返します。

寝かしつけ方法は朝寝と一緒です。

昼寝も朝寝同様1時間〜1時間半寝ます。

ラッキーデーは2時間寝てアンラッキーデーは30分しか寝ません(笑)

この間は基本的に私の自由時間になります。

ブログ書いてるか、携帯いじってるか、ドラマ見てるかが多い。

疲れてたら息子と一緒に寝ることもあります。でも私自身も昼寝することはだいぶ減ってきたかなぁ。

元気がある日は掃除もします。でも毎日ではないです。

夫は「苦手な家事してヘイト溜めるくらいなら子が寝てる間は思う存分好きなことして」と言ってくれるのでお言葉に甘えさせてもらってます。神か?

昼ごはんは食べたり食べなかったり。食べないことが多いです。

食べてもポテチとか冷蔵庫にある豚肉に塩振って焼くだけとか。そんなもんですわ。

 

午後に支援センターに行くことが多いので、行く場合は昼寝中に化粧等身支度を済ませます。

ちなみにたかが支援センターでもしっっっかり化粧する派です(笑)外見コンプの性よ…

 

13:30 息子起床

 

14:00 3回目のミルク&午後のお出かけ

14時近くにミルクを飲ませて支援センターに行きます。週に2〜3回行けたらいい方かな。

車で5分のところと10分のところを気分でローテーションしてます。

毎日午前午後どちらも支援センターに来てる強者ママが1人いてその人とお話しすることが多いです。(子供の月齢も近いので)

他にもその場で会った人とは何かしらその場限りのお喋りをすることが多いです。

支援センターが企画してるイベントや催し物的なものには割と参加してる方です。

順調に母親人間観察捗ってます…!!

息子も支援センターに通うようになってからよく動くようになってきたので何かしらいい刺激になってるんだと思う。

唇が割れてたときから知ってくれてるスタッフの方もいつも可愛がってくれて感謝感謝です。

一応息子の体力も考慮して午前出かけるなら午後は出かけない、その逆も然りでやってます。

口唇口蓋裂の通院や1日かけて家族とお出かけ日などは除く)

 

16:30 帰宅&夕寝

いつも16時から16時半には眠たくなるのでそこを目処に帰宅します。

やっぱり支援センターで遊ぶと疲れるのか車から布団に置いたら即寝ることも多いです。

即寝しちゃったら諦めますが、まだ起きてるようであれば手足を洗って着替えて麦茶を飲ませて寝かしつけます。

寝たら洗濯物を取り込んでしまって、自分のシャワーに入ります。

このタイミングを逃すと夜の寝かしつけが終わるまで入れないことが多いです。

この月齢になると子と一緒にお風呂に入る家庭がスタンダードな気がするけど我が家は今だに沐浴スタイルなので親子別々で入ります。

ベビーカメラがあるので風呂場に携帯を持っていって確認しながら入ります。

滅多に起きないけどたまに途中で起きてしまったときはも〜全裸でバッタバタです(笑)

 

そのあと夕飯の下拵えだけ準備します。(米を炊く、食材を解凍する、野菜を切る等)

基本的には仕事から帰ってきた夫が夕飯を作ります。

「下拵えを準備する」なんてかっこよく言ったけど準備できてない日も多々あり…。

そういう場合は1から夫が作ってくれます。神か?

同時に2回目の離乳食と4回目のミルクの準備もしておきます。

 

17:30 息子起床

 

18:00 夫帰宅&2回目の離乳食&4回目のミルク

有難いことに夫は大体18時頃には帰ってきます。早いときは17時半。どんなに遅くても19時。

18時過ぎても夫が帰ってこない場合は私が夕飯を作り始めますが、夫が帰宅してシャワーを浴びた後にバトンタッチします。

なので最初から最後まで私が夕飯を作るってことは滅多にないです。月に2〜3回あるかないか。

 

夫が夕飯を作ってる横で私は離乳食とミルクをあげます。

息子はいつも料理してる夫を見てはニコニコしながら離乳食を食べます(笑)

君も料理できる男になるんだよ…!!(料理が苦手な女)

 

19:00 大人の夕飯タイム

離乳食&ミルクをあげ終わって落ち着く頃に夕飯も出来上がります。

ここでやっとテレビ解禁です。

ベビーサークル内で息子が1人遊びしてる間に大人は夕飯を食べます。

グズりだしたらテレビ→Youtubeシナぷしゅに変更します(笑)

君のおかげでいつも我々は夕飯を食べることができてるよ…サンキューフォーシナぷしゅ

 

食べ終えたら夫→息子の相手、私→夕飯の片付け・息子の風呂の準備をします。

人が相手をすると息子もニコニコになるのでここで通常のテレビに戻します。

唯一テレビ見れる時間…🥺といっても夫婦で好きなバイクユーチューバーの動画を見ることが多い。

ミルク飲んだばかりですぐお風呂に入れないのでこの時間が束の間のまったりタイムとなります。

 

20:30 息子お風呂

風呂場にベビーバスを置いて夫婦2人でいれます。私が洗う係で夫がシャワーで流す係。

息子氏、シャワーが大好きな模様でめちゃくちゃ爆笑します。

チ○コめがけて強い水流ぶっかけるとそりゃもう〜大爆笑します(笑)いや〜男子だねぇ(笑)

3ヶ月時は体洗ってはいおしまい!って感じでしたが今は洗い終わったらこうやってシャワーで遊んだりもう少しまったり入ってます。

本人も足をバタバタして水飛沫を起こして楽しんだりしてます。

 

お風呂から上がったら私が着替え、鼻吸い(口蓋裂っ子とにかく鼻に離乳食が詰まりまくるので)レティナ・テーピングの張り替えを行います。

その間に夫が風呂場の片付け、使用後の鼻吸い器の洗浄、ラストミルクの準備等をします。

やっぱりレティナの付け替えが痛いみたいでギャン泣きしてしまうので終わったら夫婦で褒め称えます(笑)

「えらいね〜〜〜〜〜〜頑張った頑張ったよく頑張った〜〜〜〜〜」(クソデカボイス)

ちなみに夫の意向で「いい子だね」は使わないようにしてます。

「大人の言ういい子は"都合のいい子"の略だから」だそう。夫は結構そういうの厳しい。

 

お風呂上がり次第本日最後のミルクを飲みます。

220ml残すこともあるけど少なくても190mlぐらいは飲みます。

 

21:15 就寝

最後は寝室を暗くして絵本は読まずに寝かしつけに入ります。

…といっても夜は17時半頃から起きてる上にお風呂にも入ってるので大体すぐ寝ちゃいます。

夫に寝室にいてもらって私はその間に歯を磨いたり軽くストレッチしたりします。

最後に寝室で夫を10分くらいマッサージして

「今日もありがとう」「ありがとう」とお互いの健闘を讃え(笑)夫は2階の寝室へ上がり就寝。

私は22時過ぎまで布団で携帯いじってから寝ます。

最近疲れが取れないから本当は息子と同じく21時半頃に寝ないと!って思うんだけどいやーーゆっくり携帯ぐらい触らせろ!?ってなっちゃう(笑)

 

2:00〜3:00 息子モゾモゾ

もう夜勤はしてませんが、やっぱり夜通し丸々寝るっていうのは難しくて

大抵この時間くらいにふと目が覚めると暗闇でライオンキングしてたりしてます(怖すぎ)(いいから寝ろ)

気付いたら遥か遠くのフローリング部分でうつ伏せで寝てたり、気付いたら目の前に頭があってびっくりしたり。

なんかね…何かしらが起きてる(笑)

大抵自分の布団に連れて行き、添い寝したらまた大人しく寝ることが多いです。

 

そして朝5時半になったらまたフローリングの床をぶっ叩く音が聞こえてきて…

という感じの流れになります。

イレギュラーはあれどこういう1日を過ごすことが多いです。

 

3ヶ月時と比べるとだいぶ睡眠時間もまとまって固定化されてきた気がします。

<3ヶ月時のピヨログ>

<先週のピヨログ>

 

 

この呟きが本当に共感して「ほんとそれ」という感じなんですが

そうやって日々バタバタ追われながら生きてる間にも息子はしっかり成長していってるんだなぁ、と

今回改めて1日ルーティンを書いてみて思いました。

 

5000文字も書いちゃったからとりあえずこの辺でサクッと終わろうと思います。

ではかしこかしこ。

 

 

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「母」である自分に慣れる

どうもどうもしらすです。

前回・前々回からの記事の続きです。

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ダラダラ書きましたがこのたび最終章になります。

 

前回までの記事をすごく簡単にまとめると

「女らしさ皆無なのに"女"の象徴である母親になってしまったギャップに耐えられん」

からめっちゃ悩んでるということでした。(2つも記事書いといて1行で済んだやん!)

とはいえこのままズルズル病んでるわけにもいかないので色々考えた。

今日はそんな話。

 

救われたSNS上の言葉たち

育児中ってどうしてもまとまった自由が少ないからチラチラSNSばかり見てしまいます。

でもSNS(特にX)って忌憚ない言葉で溢れてるから結構心のヒントとなる言葉に出会えることも多いです。

 

最近の心に響いた言葉。

 

あとこれはどこかの掲示板で見つけた

『自分の中に"母親"というチャンネルができるまでが辛かった』

という言葉。

 

きっと「居心地が悪い」のは事実

どうしても私の中には「母親=女性の象徴、聖母」のような偶像イメージがあるみたいです。

現実は案外そうでもないってこと頭では分かってます。

でも数十年かけて積み上げてきたイメージはやっぱり一朝一夕で覆るものでもないです。

付き合いのある友達・先輩はほぼ全員独身・あるいは子供がいないので、現実的で具体的な「母親」というイメージが自分の中にまるでないっていうのも一因かもしれない。

「周りの友達が子持ちばかりになってしまって自分だけ世界が違うみたい…」とはよく聞く話ですが私の場合は完全に逆。

本当にずっと「子育て」とは縁もゆかりもない世界で生きてきたんですよね。

だから文字通り今「身の丈に合わない世界」に足を踏み入れたところなんだろうなと思います。

 

そりゃ居心地悪くて当然じゃね?っていう(笑)

この7ヶ月間(妊娠中いれたら1年半)(不妊治療入れたら2年以上)

「合わない合わないしんどいしんどい」ばっかりだったけど、そう思うってことは今精一杯頑張ってる証拠なんだって思えたら少し気持ちが楽になりました。

 

今こうやってカウンセリング受けたり長々ブログ書いて気持ち整理したりしてるのも

なんとか適応しようと自分なりに模索して足掻いてる最中なのかもしれないです。

合わないしんどい言いながらもそれでも後ろを振り返ればそれなりに辿ってきた道があって。

その道がきっと自分らしい「母親」というチャンネルに繋がっていくんだろうなぁと思うとなんだかストンと腑に落ちた感覚になりました。

 

私だって母になってまだ7ヶ月。会社に例えたら新人も新人のドペーペーです。

今まで学生だったんだもん、社会人生活が合わなくて当たり前。その感覚に似てる。

そりゃある程度チャンネルが出来るまでつらいはずだわ🤔笑

 

そのうち「社会人である自分」に慣れてきて、それが当たり前になって、

「社会人である自分」だからできること頑張れること楽しいことが増えていくっていうのを社会人12年目の私は知ってます。

なのできっと「母親である自分」だからできること頑張れること楽しいこともこれから出てくるはず。かなと思いたい。(笑)

 

今そうやってゆっくりチャンネルを作ってるときなんだ。

「女らしくない自分が母親なんてこんなの自分じゃない」ってそりゃ今でも思います。

でもいつか自分が「母親」であるということに慣れて新しいチャンネルが1つ増えたとき、

きっと自分の中の色々な幅?も広がるんじゃないかなって思ってます。

現時点でも今まで生きてきた世界と同じ世界を生きてるのか?ってくらい世界の見え方は変わりましたし。(このことはまたいつかブログに書きたい)

 

会社に慣れるのにも8年くらいかかった新しい環境超絶苦手マンだもの。

時間はかかる。確っ実に時間はかかる(笑)

時間はかかるだろうけど精一杯足掻こうかなと思いました。

 

そのために今できること

今1番の問題は長年の劣等感が募りすぎて「母親」「女性らしさ」に対して間違ったフィルターを自分自身がかけすぎてしまっていること。

無意識レベルで「子持ちの女性」は全て「自分にとって苦手な存在」という構図ができてしまっているんですよね。

 

そんなとき、またまた偶然見かけたSNSの言葉が響きました。

(※わかりやすいから引用したけどバカだとも腐さずとも思ってないです。私の場合、横軸で見て合わないと感じてしまっている)

 

子持ちの女性について勝手にイメージを作り上げて勝手に合わないと決めつけて勝手に自分から遠ざけてる節があるんですよね。

考えるに多分「母親」という存在に対する情報不足が原因なんだろうなぁと思います。

前述しましたが私の周りの親しい人で子供いる人ってほぼ0なので身近に「母親」やってる人が本当に本当にいない。

だからこそより世間のイメージする母親像が助長して孤立感を感じやすい状態になってしまっているんだと感じました。

かつ育児すればするほどその「苦手な対象」に自分が近付いてる気がして嫌になるという有様。

 

ずっと「自分の居場所はここじゃない」って思ってしまって病んでたけど

一度変なフィルターを全て取り払って気持ちをフラットにするべきだなってことに気付きました。

 

具体的対策として

とりあえずもっと子育て支援センター的なところにたくさん行こうって思った!

今まで何度か行ったことはあったんですが色々あって少し足が遠のいていました。

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ですが今は子の術後の経過も落ち着き、ある程度動くようにもなってきてあの頃よりは支援センターを楽しめるようになってきました。

 

支援センターに行けば否が応でもたくさんのお母さん方と出会えます。

それこそ私のイメージ通り聖母のような人もいれば「えっ」て思う人もいると思います。

合う人もいればやっぱり合わないな…って思う人もいると思います。

別に友達にならなくてもいいんです。その場限りのお喋りで構わない。

そこでもっと「お母さんって一口に言っても色々な人がいるんだ」っていう「お母さんという存在」の視野を広げようと思いました。

冷静に考えれば少子化とはいえ世の中の半数以上の女性は「子持ち」なんだもん。

そら色々な人がいるはず。

それをとにかく目で見て感じて頭に叩き込みたい。

そうやって土台に蔓延ってる良くないイメージ偏見をなんとか打開したい。

 

とりあえず「子を遊ばせる」という名目のもと「母親という存在の人間観察」をするため支援センターに色々通ってみようと思います💪(言い方 笑)

 

足より先に頭でごちゃごちゃ考えてしまうタイプなので脳内が整理できないとなかなか前に進めないタチなんだなこれが…(笑)

でも3記事みっちり書いて向き合ってこれでだいぶ心の整理ができた気がします。

 

なんかうまくまとまったようなそうでないような感じですがちょっと書くのも疲れてきたのでこんなもんで!了ということで!

子育てブログじゃなくて母育ちブログみたいなカテゴリないもんかね。

育児は育自ほんとそれ〜〜

 

ではかしこ。

 

 

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「父親」になりたかったんだなぁ

毎日アチアチのアチですね。こんにちはしらすです。

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こちらの記事の続きだよ⇧

 

…なんか前回の記事も今回の記事も書けば書くほど「自業自得で自己中な自分」が浮き上がってきて辛いんですが

そういう悪い面こそ向き合うのが必要かなと思い、今日も洗いざらい書いていきたいと思います。

 

 

「下ネタ言っても大丈夫だよ、こいつ女じゃないから」

「キツくいじっても大丈夫だよ、こいつ女じゃないから」

「夜遅いけど送ったりしなくていいです、一人で帰れるんで」

「重いものとか運ばなくていいです、自分でできるんで」

 

自業自得ではありますが、そんな感じで女性性をゴミ箱に捨て早数十年。

そんなんでも幸い1人の人とお付き合いできて結婚することはできました。

(ひとえに夫の好きなタイプが「女性らしさを微塵も感じない女」だったから結婚できたに尽きる笑)

 

既婚子なし時代もそこまで性別意識しなくてよかった

夫は「女の子っぽい女の子」が苦手なだけあって、有難いことに「男だからこう」「女だからこう」みたいな意識が本当に薄い人です。

「奥さんが家事をして旦那さんが遅くまで働く」のがよく聞く家庭の構図だとしたら我が家は完全に逆でした。

元々マメで綺麗好きな夫とズボラでだらしない私だったのもあるけど夫はめちゃくちゃ家事をやってくれます。

(なんなら"自分のやり方があるから私にやらせたくない"まである笑)

世間的によく言われる「女性的家庭内役割」を押し付けられることは皆無でした。

そんな夫のお陰で夜遅くまで仕事にフルコミットできてたし、結婚しても「自分は女である」ことをさほど意識せずに生活することができていました。

<<感謝>>

 

この国で妊娠・出産したら女性への負担が多くなる現実は分かっているつもりでした。

少なくとも「子供を作ること」に二の足を踏んでいた理由の1つではあったし。

でもどこかで「うちの家庭は男女逆っぽいところあるし、そういう現実はあまり襲ってこないだろう」と高をくくってた部分があったんですよね。

夫も常々「僕がメインで家事・育児をする。だってあなた絶対向いてないもんねw」と私の特性も理解してくれていたし。

 

でも蓋を開ければ「そういう現実」はガンガン襲ってきた。

 

「女である」ことに沢山ぶち当たった

始めは妊活してもなかなか授からず検査のために婦人科へ行ったときのこと。

これまで病院という場所には縁がなかったので婦人科のあの独特の雰囲気には始めだいぶ面食らいました。

妊娠・出産なんて夫婦2人の問題なのに待合室にいた患者は全員が女性。

この日は仕事を早退して病院に行ったんですが、店ではまだ店長(男)も副店長(男)もバイト(男)も働いてるのに

「なんで私だけこんなところに座ってるんだ…?」という居心地の悪さを感じたのを覚えています。

客観的に見れば私もそんな患者の1人に過ぎないことは百も承知です。

頭では十二分に分かってるのに感情の部分で感じてる性自認が狂ってるので、まるで女性専用車両に1人飛び乗ってしまったおじさんのような気持ちになっていました。

(何を言ってるか分からないだろう…?もはや私にも分からない😂笑)

 

そういう小さな「居心地の悪さ」は治療や妊娠経過が進むたびにどんどん大きいものになっていきました。

治療〜出産までの間、お決まりの椅子の器具に乗って何度も何度も開く股。

卵管を通水する卵管造影はそれはもう死ぬほど痛くて、やられてる間「どうして私だけこんな目に…!?」と強く思いました。

治療のため職場に迷惑をかけなきゃならないのもいつも女性側である自分だけ。

人工授精当日、夫が中抜けして来てくれましたが院内に入れるのは女性のみということで結局駐車場で待機。

どんなに夫が頑張ってくれても外界からの圧力(?)により「女性だけ」という場面は後にも先にも数えきれないほど沢山ありました。

(今でも夫婦どちらがミルクあげてもいいのに出先の授乳室は大抵男性入室禁止なので結局女性の私があげるしかない…とかね)

育児において「社会的に男性には出来ない・させない・やらせないこと」があまりにも多すぎるんですよね。

 

夫は1mmも悪くないのにどうしても「どうして自分(女性)だけ?こないだまで同じところに立ってたはずなのに…」という思いが風船のようにどんどん膨らんでいきました。

まるで自分だけ突然階段から蹴飛ばされて下に転がり落ちていったような気分でした。

 

歪んだ認知にぶつかった

私の中では決して当たり前じゃなかった「自分は女なんだ」という認識。

そんな認識をこれでもかというくらいに実感させられた妊娠・出産・育児。

それはもう今まで慣れ親しんだ日本にいたのにいきなり知らない異国に飛ばされたくらい居心地の悪いものでした。

 

このブログの一番最初の記事にも書いてましたが、妊娠したての頃からずっと⇩な感じ(笑)

主治医の先生からは「よく動いてる。可愛いでしょう」と言われたんですが 「可愛い」と言ったらなぜか負けなような気がして(?)「なんか怖いですね…!」って答えてしまいました。お前が怖いよ。

二度目の妊婦健診 - 向いてないけど、母になりました。

この「なぜか負けたような気がして」の気持ちの正体がずっと分からなかったんですが

今にして思えば『赤ちゃんを見て「可愛い」と言うような、いかにも女性らしい女性になってはいけない』と無意識にブレーキをかけていたのかなという気がします。

 

どんどんお腹が大きくなって、胎児を守るため体毛が濃くなって、胸を絞れば母乳が出るようになって。

そういう「女性としての体の変化」も嫌で嫌でたまりませんでした。

会う人会う人に「あら幸せねぇ」「お母さんになるんだねぇ^^」というピンクピンクした眼差しや表情を向けられることもしんどかったです。

夫も周りの男性も子供が出来ようが何一つ変わらない体で仕事や日常を続けている。

今まで私も同じ世界にいたのに。同じ位置に立っていたのに。

自分だけがどんどん切り離されて行くようでなんとも言えない孤立感が募っていきました。

 

自分の歪んだ認知から「女性らしさ」を嫌って避けてただけなんですが

『今まで自他共に"女ではない"ような認識で生きてきたのに、なんで今更こんなに"女"であることに苦しめられなきゃいけないの』

『女性らしいところなんて何一つないのになんで体の機能だけは一丁前に女なの?』となんだかすごく悔しくなりました。

歪んでる?歪んでるだろう(笑)でもこれが本音なんだ。

 

それが鬱っぽさの一因だったみたい

そういう思いは育児が始まれば始まるほど顕著に出てきました。

どんなに夫が主体的で協力的でも、自分と世間の中にある「結局のところ育児の最終監督責任者は女親」という考えがどんどん重くのしかかってきました。

育児始めたての頃の私は「今まで女じゃなかったのに(?)なんでいきなり女であるがゆえの責任がこんなにも重く来るの?男女比率合ってなくない?なんで女だけ?なんでなんでなんで」って感じで大混乱でした。

理解してもらえるか分からないけど要するに男の感覚のまま母親になってしまったという感じでした。

父親になるつもりが母親になってしまっていた…みたいな。

本当に本当にヒヤマケンタロウみたいな気分でした。

 

看護師さん・保育士さん・保健師さん・助産師さん・他のママさんetc... 育児中に関わる誰と話しても根本的な何かがズレているような文にし難い違和感がずっとありました。

どこにいても何をしても居心地が悪くて、自分の居場所なんてどこにも無くなってしまったみたいな感覚でした。

頼みの夫に話してもさすがに理解の範疇を超えてたみたいで(そらそうだ笑)価値観が擦り合わず喧嘩に発展することもありました。

 

もう精神的には八方塞がりのような状態になり、先日カウンセリングにお世話になり今に至るという感じになります。

 

見えてきた結論

なのでこのブログでも散々「育児つらい」と言ってましたが多分育児そのものが辛かったんじゃなくて(いやしんどいことは山程あったんだけど笑)

「育児を通して浮き彫りになってきた自分自身の問題つらい」が正しかったんだろうなと思います。

 

ブログのタイトルにもしている「向いてないけど、母になりました」の「向いてない」の理由が

今回のカウンセリングと、この文章を書いて心の棚卸しをしたことでだいぶハッキリしてきたかなと感じました。

 

多分私は子供は欲しかったけど「母親」にはなりたくなくて。

「親」になることへの覚悟はしたつもりだけど「母親」になる覚悟は全然してなくて。

むしろずっと「父親」になりたかったし、パートナーが夫ならなれると思ってたけど

結局どう足掻いたって私は「母親」であることを子供を産んでからやっと気付いた、といったところです。

 

今こうやって俯瞰して読んでみると「いやいやいや…」と自分の気持ちにツッコミ入れたくなるところも山積みですが、とりあえず思うまま吐き出してみたらだいぶスッキリしました。

結局のところ色々と覚悟が足りなかったんだろうなと反省する部分もあるけど

そういう不安定な状態でもなんとか息子を今まで育てられたこと、少しは褒めてもいいんじゃないかなとも思えました。

相変わらず自分のことばっかり考えてる母親で申し訳ないという気持ちはめちゃくちゃある。

 

とはいえ、このまま終わったら何の解決策もなくダラダラとお気持ち述べてチャンチャン!となってしまうので

次の記事でだからこそ今後どうしていこうかなっていう部分をまたまとめて書けたらいいなと思います。

0.000001mmでも興味がある方いればもうしばらくお付き合いくださいませ(笑)

 

ちなみにこの記事を書くにあたりウロウロネットサーフィンしてたらこの方のnoteがすごく自分の考えに近いなと思ったのでシェアさせて頂きます。

(ダラダラダラダラお気持ち書いてる私よりよっぽど読みやすいです…!!)

note.com

それでは長くなってきたのこの辺で。

ではではかしこかしこ。

 

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「女らしさ」を殺した日

どうもどうもしらすです。

最近「育児ブログ」というよりは「メンタルブログ」になってます、が。

そもそも根本から育児ブログにするつもりはなく「育児してるメンタル豆腐な私のお気持ち発散ブログ」をやってるのでこの流れは正解です(?)

 

(というより私と子は違う人間なので、自分ではない人間の出来事をブログに書くというのがとても苦手…。

子の了承を得てないのに、子の日常を別人間の私がネットの海に発信することがどうしても躊躇われてしまう。

私の人生を公開することは私自身が了承を得てるので気兼ねなくできるし楽しい!という考えなのでそもそも育児ブログ向いてない笑。

※自分がそういう価値観なだけで子の日常を発信してる人を批判する意図は全くありません。)

 

話が逸れましたが、ここで今までちょこちょこと書かせてもらっていたダイジェストいきたいと思います。

新生児期の過酷な睡眠不足もなくなり、子自身も成長してきて育児もだいぶ落ち着いてきました。(もうすぐ生後7ヶ月)

子を可愛いと思える心の余裕は少しずつ生まれてきましたが、それでも私の心の中にあるモヤモヤは全然晴れることはなく。

「育児の睡眠不足からくる産後うつ」かと思ってたんですが、どうやら様子が違いそうだぞということに気付いてきました。

 

そこでなんか第六感的に(?)「この感情をこのまま放置するのは危険だな」と思い、先日から心理カウンセリングに通っていました。

とりあえず先日でそのカウンセリングが一旦終了しました。(というか、あまり先生が合わなかった笑)

正直まだ不完全燃焼なところはあるけど他者に気持ちを吐き出したことで今何に悩んでるのかの輪郭が少し見えてきました。

 

それをブログに書き起こすことで再度頭の中を整理させようと思っています。

なので今回から何回かに分けてちょっとダラダラ書いていきます!

前置きが長くなりましたが〜〜〜!!それではいっくよ〜〜〜〜ん!!

 

そもそも幼少期に悩みのキッカケがあるのかも

端的に言うと昔から私は本当に「女らしくなく振る舞っていた女の子」でした。

小さい頃から身長も高く、物心ついたときにはいつも背の順は一番後ろでした。

女子同士で遊ぶより男子を交えてサッカー、ベイブレード遊戯王カードなんかで遊んでました。

ガタイも良く顔も可愛くない上に、性格も目立ちたがり屋で仕切り屋で口が悪くて声がデカくてうるさい。

いわゆる「可愛らしいザ★女の子」とは正反対。言うなれば「一番モテないタイプの女の子」だったと思います。

それでもやっぱり男の子には女の子として見られたい。恋愛だってしてみたい。

脳みそだけはいっぱしの「少女漫画気取りの女の子」でした(笑)

 

でも現実はスカート履いてただけで「お前男のくせになんでスカート履いてんだよw」なんて揶揄される始末。

幼いながらに「私は"可愛くて女の子らしい女の子"ではないから笑いをとったり男っぽくしたりなにか"別路線"にならないといけない」と強く思っていました。

と、同時に「可愛くてそこに存在するだけで優しくチヤホヤされる女の子らしい女の子」というものにどんどん劣等感のような嫉妬のような憎悪も募らせていっていました。

 

小学生の時にそれを決定づける出来事が起こりました。

ある日クラスのいじられキャラ男子が私に告白してきました。

その子のことは好きじゃなかったけど初めて誰かに"女の子"として見てもらえたことが嬉しかったのを覚えています。

「気持ちはありがとう。でもごめんなさい」と伝えると一斉に周りからゾロゾロと他の男子が現れて

その告白してきた男子も一緒になって「なに女子ぶってんのウケる!男のお前に告るわけねーじゃん!キメー!」とからかわれたことがありました。

今までの自分のキャラを崩したくなくて「はwウザ!女ぶってねーし本気にしてねーしバカじゃん!!?」って濁したけど

内心ものすごく精神的に傷付いた記憶があります。

 

そこからは一段と「可愛い」「女の子らしい」と言われる物事を忌み嫌うようになり、避けるようになっていきました。

いつも「嫌いな色はピンク」って言ってたり。

スカートは一切履かなくなって迷彩柄とかPUMAのズボンばかり履くようになったり。

星座占い本の「乙女座」の「乙女」という文言が気に入らなくてわざわざ乙女座のページをビリビリに破いたり。(闇深 笑)

七五三もどうしてもフリフリのドレスを着ることが嫌で袴を着たり。

(何故「はいからさんが通る」…?と一同キョトンとしてたけど笑)

 

中学に上がると今度は「スクールカースト」というクラス内での立ち位置的階級が気になるようになってきました。

可愛らしい女の子達はそこにいるだけでクラスの上位的中心的存在として扱われます。

でもブスで背丈も大きくてガサツな私はそうもいきません。

スカートの下にジャージを履いて上履きを履き潰して、男子と同じように大声を出してみたり、汚い口調で皆とゲラゲラ笑い合ったり。

そうやって身だしなみを崩して「ノリの良い女」になることでやっと可愛い女の子達と同じ階級に並べているという感じでした。

(余談:それで家に帰ったらひたすら根暗で絵描いてたんだから人格めちゃくちゃすぎて笑う)

(この「女性らしさ」への嫌悪がのちにBLにドハマリしていくキッカケの1つになったことは否めない笑)

大人になった今思えばあの頃はホンッットーーーに無理をしてたなって思います。

 

当然そんな立ち振る舞いをしてたので、いくら頭の中が少女漫画脳でも恋愛がうまくいく訳もなく。

好きな人がいたこともあったし、自分から告白したこともあったけど叶ったことは一度もありませんでした。

(結局今の夫とお付き合いするまで彼氏ができたことすらないのでお察し)

大抵相手はクラスの可愛い女の子が好きで片思いに終わったり、「恋愛対象には見えない」と思われたり。

好きだった人に「お前が男だったら1番の親友になってたよ俺は〜!」と言われたこともありました。

そんなこと言われてしまったらまた笑って「うるせぇよバカ」と蹴り合ってふざけ合うことしかできなかったです。

 

「男性から"女"として一切見られないこと」はこのあとも何度も何度も経験しました。

深夜にやや素行の悪い男友達の家に呼ばれ、家を抜け出して会いに行ってただただ夜通しバカ話してゲームしてたことがありました。

そのときに「普通の女子なら呼べないでしょ。お前なら呼べるし来ると思った」と言われました。

高校大学大人になっても「密室で男性と2人きりになる状況」は何度か経験しましたが本当に色づいた雰囲気など一切なく終わることが私にとっては普通でした。

(お互いの感情とか良い悪いの倫理観は別にして)

 

また、思春期になればなるほど女友達の間でも

「急に声をかけられた」「痴漢された」「追いかけ回された」など女性特有の男性から受ける性被害的な話を聞くことも増えました。

ただ私はマッジで本当にそういった経験が一度たりともないんですよね。

可愛くない、ガタイがいい、背が高い、見た目が怖いの数え役満なので当然と言えば当然(笑)

「そりゃこんな小柄で可愛らしい子、追いかけ回したらワンチャンどうにかできるかもって相手も思うだろうなぁ」っていつもどこか他人事。なんなら男性目線で話を聞いてました。

「きっと世の中の男全員、私が"女っぽくない"とか通り越して正真正銘の"男"に見えてるんだろうな」と割と本気で思ってたりしてました。

 

その時期から(まぁ今もだけど)トイレで鏡を見ることもすごく嫌いでした。

自分より何倍も小柄で何倍も可愛い女の子が隣に来るといつも比較して死にたくなってました。

なんでこんなガタイ良いんだろう。なんでこんなに顔でかいんだろう。なんでこんなに可愛くないんだろう、って。

そう思えば思うほど自分の中の「女性性」を潰そうとする衝動も激しくなっていきました。

その衝動はいつしか自分の中で「当たり前」になり「価値観」として強く蔓延るようになりました。

「私は女じゃないんだから女らしく振る舞うなんてみっともなさすぎて無理。負け。」

文字に書き起こしてみると認知が歪みまくってるのが分かるけどこれが30過ぎた今も尚、私の大きな部分を形作っている価値観の1つです。

 

結局そういう考えは大人になった仕事観にも強く反映していきます。

一応今の仕事ではチーフという役職を持って働いています。

(働いてました、が正しいかな。妊娠して役職取れちゃったので)

 

この仕事も、一般会社的に言うと「営業」と「事務」みたいに部門が分かれています。

「営業」が店内の運営・管理をする『部門』。「事務」が主にレジ作業を担当する『レジ』と呼ばれています。

ここで言う「部門」が私のいる職種です。もちろん女性もいますが圧倒的に男性が多いです。

その中でも役職を持つ女性となると更にその数は限られます。多分部門全体の2割くらい。

役職を持つ女性の中には既婚者もちらほらいますが8割型独身です。子持ちはほぼゼロ。

力仕事、残業、休日出勤なんでもござれ。売場運営が第一優先事項となります。

 

一方「レジ」部門の方は9割型女性社員です。

どちらの仕事も大変ですが、時間が決められてるので残業はほとんどありません。

もちろんレジ部門内でバリバリやってる方もいますが、大抵は「高卒入社から数年働いて職場結婚→妊娠して退職、または育休中に妊娠を繰り返してずーっと時短の人」がほとんどです。

 

なので同じ会社でも部門が違うと女性の働き方・雰囲気・立ち位置が結構ガラッと変わってきます。

現に男性社員の中でも「部門の女は怖い」という声はよく聞かれます。

実際私の目から見ても(自分含め)部門の女性社員はキツイ人が多いです(笑)

というかまぁキツくならざるを得ない。仕事内容的に。

やっぱり凝り固まった厄介なプライドとは分かっていつつも

「私はそういう中で男と肩並べてやってきた」「レジの人とは違う」という自負がすごく強いです。

ここでもまた、昔からずっと積み重ねてきた「女性性への劣等感・嫉妬・嫌悪・憎悪。からの醜い意地」がどうしても顔を覗かせます。

 

そういういわば「岩のように凝り固まってしまった歪んだ価値観」を持ったまま挑んだ不妊治療・妊娠・出産・育児。

そういった中で否が応にも向き合わなければいけない「自分が正真正銘"女"であることを思い知らされる」経験の数々が言葉では言い表せないようなストレスの連続だったんですよね。

 

ということで長くなってきたのでこれはまた次回に。

ではではかしこかしこ!

 

 

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「ヒヤマケンタロウの妊娠」観たよ

やっぴーどうもしらすです。

 

前々からどーっしても見たいドラマがありまして!それがネトフリ独占配信でして!

この度ネットフリックスデビューいたしました。

そして速攻見終わりました(笑)

それが『ヒヤマケンタロウの妊娠』です。


www.youtube.com

物語を超簡単に説明すると「男も妊娠する世界線の話」です。

 

今自分がぶち当たってる課題に対してとてもタイムリーなドラマだったので絶対何かしら刺さる!と思ってたんですが

案の定しっかり刺さって本当に色々考えさせられたし、勉強にもなったし、ポジティブな気持ちも沢山貰えました。

色々モヤモヤしてカウンセリングとか通ってる今のタイミングで見れて本当に良かったドラマでした。

 

ネタバレ含まない超ざっくりとしたあらすじ

世間的にまだ多くはないもののちらほら男性妊娠の話もある世界のお話です。

バリバリ働く超やり手広告マンの桧山健太郎斎藤工)と、同じくフリーライターとしてバリバリ働く瀬戸亜季(上野樹里)。

セフレのような後腐れない関係の2人。

その2人の間に健太郎が妊娠するという形で命が宿るところから物語がスタートします。

悪阻やメンタルの不調、数々の妊夫トラブルに苛まれ仕事もままならなくなる健太郎

世間・親族から向けられる女性特有の「圧」を煩わしく思い、仕事もバリバリこなしていきたいと思っているところにパートナー(男)の妊娠が発覚する亜季。

そんな2人が偏見・差別だらけの世界に振り回されながら、ときには調和しながら

新しい「育児」「仕事」「パートナー関係」を模索し『自分らしさ』について考え進んでいくストーリーです。

 

ネタバレと自分語りをたっぷり含んだ感想

まず初めに男女が入れ替わることでこんなにも見える世界が変わってくるのかというのが可視化されて本当に面白かったです。

 

冒頭第一話。仕事も女性関係も順風満帆な健太郎の「人生は予測と準備。それを怠らなければ事は思いどおり進む」というセリフから始まります。

それが健太郎が男性妊娠の経験を経た後半部分では

「思いがけないことが人生には起こる。明日突然どういう立場になるか分からない。

そうなったときにどうするか、どう対処するか。それがその人らしさだし人生の醍醐味なんじゃないでしょうか」というようなセリフに変わっていきます。

これが本当に「分かる分かる;;」で胸にグッと刺さりました。

 

私自身、石橋を叩いて壊すぐらい準備するタイプの人間で妊娠前までは健太郎の冒頭セリフのような考え方のもと生きてきました。

人生に大事なのは予測と準備。それを怠らなければ大きな失敗やトラブルが起こる事は早々ない。

それが全然上手くいかないと思い知ったのが不妊治療、妊娠、出産、育児でした。

何回やってもうまくいかない不妊治療をして、いざ妊娠したら胎児に先天疾患があることを宣告され、

最終的に高血圧腎症で入院することになり、結局は緊急帝王切開で出産。

何を予測しようが何を準備しようがどうにもならないことの連続でした。

「人生には思いがけないことが起こる」ことを身をもって知った瞬間でした。

 

これは妊娠出産に限った話ではないですよね。

明日事故に遭うかもしれない、介護が発生するかもしれない、病気になるかもしれない。

男も女も関係なくその立場になってみないと見えてこない世界、出てこない言葉というものが必ずあるということを実感させられました。

 

ここからは要所要所の感想。

「女性は当たり前にやっている妊娠・出産」

自分自身妊娠・出産を経て周りから「よく頑張ったね!」と声をかけてもらえる機会が本当に増えました。

「ありがとうございます」と答えながらもどうもその言葉が胸の奥まで届きにくく、いつも定型文のように受け流していました。

それって私自身もきっとどこかで「女性にとってこれは当たり前なこと」と思っている節があったんだろうなと思います。

 

ドラマでは全てがスマートだった健太郎が妊娠したことにより仕事もプライベートも坂道を転がり落ちるように上手くいかなくなっていきます。

体調不良で仕事もままならなくなる姿。

会社から配慮にかける言動を言われ食に走る姿。

身なりにも気をつけられないほど余裕がなくなる姿。

この先の漠然とした不安に涙する姿。

そのどれもが"あのときの自分"でした。

そうだよ。すごく大変でしんどいことばっかりだったよ。

当たり前なんかじゃない。全然当たり前なんかじゃないよ。

男女逆転した世界を見て初めて「あのときの自分めっちゃくちゃ頑張ってたやん…!!」って自分を褒めたくなったというか労わってあげたい気持ちになりました。

 

妊娠「する側」「しない側」

ドラマでは男の健太郎が妊娠するので女の亜季は「妊娠しない妊娠生活」を送ることになります。

亜季の発する言葉、考え方その節々に「妊娠しない側」の人間である様相が浮かび上がります。

また健太郎以外の男性妊夫も出てきますが「妊娠が分かった途端、女に逃げられた」なんて話も出てきます。

どれもこれも女性側の立場からしたら「よく聞く男のエピソード」ばかり。

その男女逆転の対比描写もまたすごくリアルで面白かったです。

 

女性だって「妊娠しない側」に立てば、女性自身に傷付ける意図はなくても「妊娠してる側」を傷付ける発言・行動することは十分にありえるのだと思いました。

私の夫は妊娠中も育児中の今も本当に寄り添ってくれていますが(それでも一番大変な新生児期に育休取ってくれなかったとか諸々はあるけど笑)

逆の立場になったときメンタルが不安定になっている妊夫の心を傷付けずそこまで献身的に支えることが果たして私にできるのかと問われると正直自信ないです。

 

性別関係なく「自分が経験していないこと」に全身全霊で寄り添うこともまた、とてもしんどく難しいものなのだと痛感させられました。

不可抗力でただただ苦しめられる「妊娠してる側」と違って自分の頭で色んなことたくさん考えて行動しなきゃいけないんだもの。男性も男性で大変だよね…

 

「妊娠していない側」から見える世界

妊娠すると体調不良やホルモンバランスに振り回されて何もかもが"それどころ"じゃなくなります。

だからこそ亜季を通して「その期間妊娠していない側は何を考え、何を感じるのか」間接的に知れたのも面白かったです。

体調にもホルモンにも振り回されず理性がしっかりあるからこそ悩むこと、やること、考えることもいっぱいあるよねって思いました。

特に印象的だったのは出産シーン。私と同じく健太郎も緊急帝王切開でした。

手術が終わるまでの亜季と健太郎の両親のあの手術待合室の空気。

あの空気は絶対知ることも見ることもできない世界ですからすごくすごく新鮮でした。

そりゃ腹切る方がしんどいに決まってるんだけど(笑)待ってる側も色々なこと考えて待つしかできなくてしんどいよね。

実際待合室で待ってた私の夫と両親も相当グッタリしたらしく帰りにファミレス寄ったらしいんだけどメニュー選ぶ気力すらなくて全員同じもの食べたって話聞いて笑った。

 

同じ「妊娠」「出産」でも立場が変わればこうも見える世界は違うのかというのが映像で実感できるのが本当に面白かったです。

 

「らしさ」とは

このドラマは「女らしさ」「男らしさ」「母親らしさ」「父親らしさ」「自分らしさ」とは何かをすごく突きつけて考えさせてくれる作品でした。

最終回。2人で子供を育てていく中、亜季は仕事でのシンガポール行きを取りやめる意向を話します。

そのときの健太郎「俺たちは誰も犠牲になっちゃダメだよ。」という台詞に涙がドバドバ流れました。

現実の妊娠出産はどうしても女性に負担がいきがちです。

どんなにサポートしてもらってもその現実は変わらないのをいま身をもって実感しています。

でも女性が犠牲になることは違う。

だからといって女性のために男性が犠牲になることも違う。

そして両親の自由のために子供が犠牲になることはもっと違う。

すごく難しい問題です。

おとぎ話のような理想論なのかもしれないけど絶対諦めてはいけない着地点なんだということを改めて考えさせられました。

そのおとぎ話のような理想を叶えるために何度も壁にぶつかったり取り返しのつかない失敗をしたり傷付き合ったりするのかもしれないけど

それでも私はその理想論を絶対に諦めたくはないなとこのドラマを通して再度実感しました。

 

その他余談感想

ここからはちょこちょことした感想なんだけど

まず妊娠10週で赤ちゃんの声聞いたくらいであんなに母乳滲み出ないよ😂(笑)

色々リアルな内容だったのにあの部分だけえらいファンタジーで笑ってしまった。

 

あと産後の健太郎の「会社から(育休など)もらえるもんはもらってやっていく強かな姿勢」は現代の働く妊婦あるあるかなと思ってクスッとしてしまいました。

 

「子供ができてキャリアを中断するって決して下方修正じゃない。人間的にはスキルアップしてる。この経験がいつか必ず仕事に反映される日が来る」

作中では女性たちに「カッコつけて言う事じゃない」って馬鹿にされてたけどすごく重要なことだし私はすごく勇気をもらえる言葉でした。

前々からブログに書いてるけど私はスーパーマーケット勤務です。

職業柄、子育て主婦が主なお客様になるので同じ立場を経験して復帰したとき

きっと見える世界が大きく変わってるであろうことが少し楽しみだったりもします。

バリキャリになりたい訳ではなく、その経験を経て新しい提案やアイディアを出せる社員になれたら良いな。

 

そしてドラマを見て一番強く感じたのが

男が産もうが女が産もうが妊娠中に何を考えようが何が起きようが命は等しく爆誕していくっていう「生命力の強さ」です。

環境が整ってなかろうがなんだろうが時期が来たら赤ちゃんはお腹から出てくるんだよね。

本当に新しい命を産み出すってとんでもない所業だよ(笑)

産まれてきた子供の性別に触れなかったのと、子供の名前がジェンダーレスだったのも良かった。

(かくいう我が子も色んな想いを込めてジェンダーレスな名前にしたので余計に)

 

そんなところでしょうか。

相変わらず感想という名の自分語り乙…!いいの!!好きに書くブログだから!!(笑)

 

これから子供を考えている人、今妊娠している人(もしくはパートナーが妊娠してる人)、

育児と仕事の両立に悩む人、ジェンダーバイアスに疑問を感じる人には特に見て欲しい作品だなって思いました。

私はすごく励まされた。もっともっと頑張ろうと思えた。本当に見て良かったです。

 

カウンセリングも終わったタイミングでこのドラマを見たので、総まとめして今の心のモヤモヤの着地点がなんとか決まった感じがします。

次からそのことをだらだらブログに書けたらいいなぁと思います。

 

それでは今日はこの辺で。かしこかしこ。

 

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母の育児。私の育児。

ハローハローしらすです。

今日は雑談しようかなと思います。

 

子供が産まれてから母に「私のときはどうだった?」と相談がてら母の育児エピソードを聞く機会がかなり増えました。

聞いたことある話もあったけど初めて聞く話も多々あって、これが結構面白い。

母は娘の私から見てもゴーイングマイウェイで破天荒で楽天家で気も強め。

当時は今よりもっと母性神話が強い時代だったと思うけど、そういった母親像とはまた全然違うタイプです。

まとめたらちょっと面白そうかなと思ったので聞いた話を今回書いてみようかなと思います。

 

母の妊娠エピソード

母は34歳で私を出産しました。

当時30歳を過ぎたら高齢出産とされていたため「病院で高齢出産のマル高マークつけられたわww」と笑ってました。

年齢なんてミリも気にしてない母(笑)

 

この時代、女性の喫煙者は珍しかったらしいですが母はゴリゴリのヘビースモーカーで妊娠を機に頑張って禁煙したと言ってました。

煙草買っては「吸ってはダメ…」って言いながら水に沈めてたって言ってた。コワ(笑)

ちなみに出産後は喫煙再開して、私はよくライター付け係してたのを覚えてます(笑)

 

一度早期胎盤剥離になって入院。

退院後、里帰り出産するため臨月手前で単身飛行機で東京から福岡に帰省。

(父は仕事のため東京に居残り)

身重の状態で福岡空港に着いたのに連絡していた親族は誰一人迎えに来なかったそうです。

「なんでだよ!?」と思いつつ、母はそのまま大荷物抱えて1人空港から家まで移動。

そしたら玄関に「お父さん(私の祖父にあたる)が倒れました。○×病院にいるからすぐ来てください」って貼り紙してあったそう。

母が帰省したその日に母の父(私の祖父)は脳梗塞で倒れ、家族全員妊婦の世話どころじゃなかったそうです。

結局大荷物抱えてまた1人病院に向かう母。

最終的にかなり父(私の祖父)の面倒も見ることになったようです。

(あ、ちなみに祖父はこのときは元気に復活しました)

さぞ心配だったかと思えば「誰が私の面倒見てくれんだよ!?!?」と終始ブチギレだった模様(笑)

 

母の出産エピソード

早期胎盤剥離を起こしたことはあれどお産自体は3時間のスピード安産。

2800g台の小柄で産まれたしらすベビー。

「小さく産んで大きく育て」とはまさにこのことで現在34歳の私168cmあります(笑)

 

ちなみに母が陣痛で悶え苦しんでる間、近くにいた看護師2人が

「このお産が終わったら一緒に伊丹十三の映画観に行こ〜🎵」ってずっと話してたらしく

「産み終わったら覚えてろよ」と思っていたそう。心中穏やかではない(笑)

 

しらす赤子エピソード

母は当初母乳育児をしていましたが、何もしないのに心配性だけは爆発してる父が

毎日のように「今日は何ml飲んだ?」「今日は何ml飲んだ?」としつこく聞いてくるのが相当ウザかったらしく。

「これで何ml飲んだか分かるでしょ!?」と、母乳が出なくなった訳でも母乳拒否になった訳でもないのに完ミに移行(笑)

 

いつまで経っても指しゃぶりをやめなかった私。(結局年長ぐらいまでやってた記憶ある)

母自身は「そのうちやめるでしょ」と何ひとつ気にしてなかったようですが、

またもや何もしないのに心配だけは一丁前の父が「どこか電話相談した方がいいんじゃないか?」と何度もしつこく母に言ったそう。

あまりに言うので父を大人しくさせるためにも今でいう発達外来に渋々電話。

しかし「お母さんの愛情不足なんじゃないの?」と言われブチギレ(笑)

「うるせぇぇぇ!!!」と電話をガチャ切り。(「本当に言った」って言ってた笑)

 

ある日は、母は父に私の子守をお願いして自室でイヤホンつけて英語の勉強(eラーニング的な)をしてたそう。

頼まれてたはずの父はあろうことか大爆睡。

赤子の私は廊下で何時間もひたすら泣き続け、そのままその場で泣き疲れて気絶してたなんてエピソードも初めて知りました。

いや狭い家なんだからどっちかはよ気付けや(笑

そしてつくづくポンコツな父。

 

思い立ったら即行動の母。

今で言うところのワンオペ育児に疲れ果て、私が生後3ヶ月のときに京都へ単身逃亡。

「山積みの洗濯物を見たときに何かの糸がプッツン切れた」と言ってました。

ちょうど3ヶ月健診に夫婦(両親)2人で行く日に新幹線で京都へ逃亡したそうです(笑)

一応心配になって京都駅に着いてから家に電話したら動転しまくった父に

「1人で3ヶ月健診連れてったぞ;;;;もっと育児協力するから早く帰ってきて;;;」と泣きつかれ、なぜか京都で髪だけ切って自宅に帰ったそう。

 

あと当時アパートの2階に住んでいたしらす一家。

冬のある日。まだ赤子の私と母で出かける際、誤って私はアパートの外階段から一番下まで転げ落ちたらしいです。

しかし無傷。

「真冬だったからもっこもこに厚着させててそれが良かったね★」って母笑ってました。

怪我してたら大問題だけど何事もなかったならまぁOK!とする姿勢は母親やる上で意外に大事なマインドかもと聞いててちょっと思ったりもしました。

私だったらたとえ無傷でもずーーっと自分のこと責めて病みそうな気ぃするもんなぁ。

令和の今、SNSとかに呟いたら炎上案件だろうけど(笑)

 

私は一人っ子なんですが、よく「一人っ子は過保護で丁寧に育てられたでしょう」とか言われますけどマジ家庭による。(ソースは我が家 笑)

私も育児で鬱になったり病んだり色々してますが「息子が3ヶ月のときに京都に逃亡してないだけマシかな…」っていつも思うようにしてる(笑)

 

母の育児エピソード

いや本当色々ヘビーな母ですが(笑)育児にはすごく熱心に向き合ってくれたと思っています。

元々読書好きの母。私が産まれるにあたり図書館にある育児書はほぼ全て借りて読んだと言ってました。

 

あと私が幼稚園に行く前日まで毎日公園に連れて行ってくれたそう。

雨の日も風の日も「大晦日にも連れて行ったけど誰もいなかった」って言ってました(笑)

なので幼稚園登園初日「なんで今日は公園行かないの!?」と私はめっちゃ騒いだそうです。

いやそうなるよね文字通り365日行ってりゃぁね。宮沢賢治かよ。

『育児は待つこと』が信条らしく、私がどれっだけ公園でずっと遊んでても「置いてくよ!」とかは言わずひたすら待っていてくれたそうです。

「全然帰ろうとしないからずっとあみんの"待つわ"歌ってたわ」言ってた。

 

一人っ子だったため社会性を身につけて欲しい思いからかガールスカウトやらジュニアリーダーなど青少年団体活動はやたらいっぱいやってました。

幼稚園頃から保護者付き添いなし子供だけの宿泊学習体験みたいなものにもめちゃくちゃ参加してた記憶があります。

母いわく、まだ小さい私は不安から「お母さんと離れたくない😭」って泣いてたそうですが

「つらくなったらすーぐ帰ってきて良いからね〜〜〜^^^^」とか言ってそういう体験にブチ込みまくってたそう(笑)

当の私も初めは1人にされるし、周りは知らない子・大人たちばかりで不安だったけど最終的には色々友達もできて楽しかった記憶の方が多いです。

荒療治的ではあるけど幼少期から「自分が動かなきゃどうにもならない環境」にぶち込まれまくったことは今でも活きてる部分が多く、本当に良い経験をさせてくれたなぁと感謝しています。

 

母自身もやりたいことがいっぱいあるタイプで私が産まれてからもそれは変わらずでした。

確か私が幼稚園か小学校低学年頃から母は劇団に入っていて何度か舞台に立ったりもしていました。

小さいながらに「演技をして別人になっている母の姿」「母なのに母じゃない」という感覚はすごく新鮮だったのを覚えています。

油絵も好きでよく習いに行っていて、今でも私の実家には母が描いた大きなキャンバスの油絵が至る所に飾ってあります。

 

母自身が唐突に年越しカウントダウンディズニーをしたくなったらしく

晦日当日夜に突然「今からディズニーランドに行くぞ!!!」と言い出して私も父も大慌てで支度。

結局人混みの嵐でディズニーに入ることすら難しく(当然 笑)なぜか東京駅のホテルに泊まるっていうこともあったりしました。自由が過ぎる

 

他にも色々あるような気がするけど長くなるのでこの辺で(笑)

 

総括

世間的には「母親になったら子供中心で自分の人生は終わり」という印象が、昔に比べてなくなってきたとはいえ今だ根強く残ってる気がします。

私が産まれた30年以上前なら尚更です。

でも私は自分の母に焦点を当てて、これまでを思い出したら決してそんなことはなく

「母は私をちゃんと育てた上で、今思えば自分のやりたいこともやりまくってたなぁ」っていうイメージしかありません。

今も毎日10km自転車走ってたり、卓球やってたり、紙芝居サークル入って小学校廻ってたり、相変わらず舞台立ってたりやりたい放題。

今の目標は「山手線全駅降りて散歩する」だそうです(笑)

 

だからこそ自分を殺さず、子の人生と自分の人生どちらも充実させることはきっと可能だと思ってます。

現に私の母はそうだったのかなという気がするし。

だから自分自身もそうなっていきたい。いや絶対なってやろうの気持ちが強いです。

🎵あぁ憧れのポケモンマスターになりたいなならなくちゃ絶対なってやる〜🎵(???)

まだまだまだまだ模索中ですけど。

 

破天荒で私にはないポジティブエネルギーをめちゃくちゃ持ってて、破天荒がゆえに理解できない部分も多々あったりするけど(笑)なんだかんだ私は母がとても好きです。

憧れる部分も正直多い。

でも母と同じになりたい訳ではなく、母の良いところは取り入れて自分にしかできないやり方は尊重して模索して私は私なりの「母」になれたらいいなと思っています。

(母はこんなタイプなのでま〜〜〜ぁ仕事が続かないんですよ(笑)

そこが良くも悪くも私と母の大きな違いなので必然的に色々違ってはくるはず)

そしてそんな私の姿がどう映ってどう感じるかは息子のみぞ知る訳です。

 

何が言いたいかよく分からなくなっちゃったけどハー今日も頑張ろ!!

 

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マイルドヤンキーと核家族育児

どうもどうもしらすです。

今日の記事はカテゴリ何になるのかな「愚痴」になるのかな。

 

子は生後6ヶ月になりまして、生活もだいぶ…だいぶ落ち着いてきました。

性格も神経質じゃないし夜通し寝るし。(4時ぐらいに多少ぐずぐずはすれど)

しいて言うなら口唇口蓋裂の毎日のケアがたまに泣きたくなるほど大変だけど子自身は穏やかなタイプかと思われます。

それでもまだ私自身のメンタルは薄〜い靄がかかってるみたいにずっとモヤモヤしてます。

どこまで続くの産後うつ

育児による寝不足が大変だったから病んでたんじゃないのか?

原因となる寝不足が落ち着いたら変わると思ってたけどそうでもないっぽい。

で、行き着いた1つの結論。

核家族孤独育児って普通につらくね?ということ。

 

ここで話は飛びまして、今私たちが住んでる町の話をしたいと思います。

 

異文化すぎる田舎の話

我が家は夫の地元に家を買いました。

超ド田舎!というわけではないけどまぁまぁ田舎です。山ばっか。

 

引っ越した当初、これから住むわけだし夫に地元をドライブがてら案内してもらったことがありました。

そしたらさぁ…

「ここが友達の〇〇の家。で、ここがその嫁さんの実家。あ、2人は中学の同級生。

で、ここが○○の実家で、○○の妹の家がここ。○○の元嫁の家はあそこ。」

 

…………なんだろう。

道路2本分ぐらいの範囲でその○○君とやらの人生が全て完結する…。

そして夫の友達は大概皆そんな感じ。

皆さんまぁ〜〜本っ当〜〜〜〜に地元を出ない。

友人・兄妹・配偶者・両親・祖父母・親族全員この町から出ていない。

 

夫自身も一度隣町で一人暮らしの経験はあれどほとんどこの町から出てない。

保育園〜高校までこの町。そして今の職場もこの町。

当然夫の実家もこの町にあります。(我が家から歩いて10分)

 

で、ちなみに夫は今でこそ優しく穏やかなおじさん(笑)ですが、

昔はピアスボコボコに開けまくって酒・煙草・パチンコ3ビンゴ男でした。

だからまぁ…語弊を恐れず言うなれば

この町マイルドヤンキーの巣窟なわけですよ。

(自営業だらけだしね!!!)

smartlog.jp

 

一方私。

両親はどちらも九州出身で、東京で出会って東京で結婚したいわゆる上京組。

当然両親の友人兄弟親族全員九州に住んでいます。

両親は親族からの援助一切なく縁もゆかりもない土地で私を育てていたことになります。

なので私は幼い頃から「祖父母・親戚という存在は盆暮正月のみ飛行機に乗って遠路はるばる会いに行くもの」なのが当たり前だと思っていました。

この町に引っ越してきて初めてそれが「当たり前じゃない人」がこんなにもいるのかということに驚かされました。

文字通りカルチャーショックだよね。

 

その上私は長いこと賃貸暮らしで、高校生になったときに幼少期過ごした町とはまた別の縁もゆかりもない町に引っ越しました。

なので幼少期過ごした町に家はないです。(住んでたアパートも取り壊されたし)

だからこの町の人たちのように地元らしい地元はないし、地元に根付いた実家もない。

別にそれに対して卑屈に思ってたわけでも悲観してたわけでもないです。

むしろ「一生同じ町から出ないなんて私には想像できない。正直世界狭すぎるでしょ…そういう環境育ちじゃなくてよかった」とまで思ってました。

 

子育て始まって実感したこと

ただ今現在、私にとって縁もゆかりもない田舎町で育児してて思うこと。

子育てにおいてはマイルドヤンキー的生活環境があまりにも合理的すぎるってこと。

 

毎日毎日育児してて思うのは「本当に人手が欲しい」ということです。

何もミルクあげるの手伝って欲しいとかオムツ替えるの代わって欲しいとかそういうんじゃなくて

気心が知れてて何かあったらヘルプを出せる人が身近にいるのってマジで超絶デカイです。

それこそさっきの○○君の話を引き合いに出せば、道路2本分に何かしら頼れるセーフティネットがいっぱい転がってるってことでしょ。

そりゃ田舎特有人間関係のギスギスやしがらみがあったり、それはそれでしんどい部分もあるのかも知れない。

でもさ、こちとらそもそもそのセーフティネット自体が存在してないわけですよ。

(近隣に住む友達は皆無だし親族は全員九州だからな!!!!)

何があっても何が起きても夫のいない日中は1人で対処しなければならない。

 

ちなみに実母も近からず遠からずの距離に住んでて全く援助を受けられないわけではないです。

でもやっぱり近くはないのでそう頻繁には気を遣ってしまって難しい。

何より母自身が子や孫より自分の人生超楽しみたい派で孫守りが好きじゃなさそうなのでなかなか頼めない。(この理由がでかい)

世の中「呼んでもないのに孫を見にきたりする祖母がウザイ!!」なんて悪口で溢れかえってますが逆のパターンもあるんやで。

(まぁそういう母だからこそ地元捨てて単身上京してきたんだろうけど)

 

そしてこれは完全に僻みという名の愚痴だけどもうひとつ気付いたこと。

この町の人たちビックリするぐらい親の援助受けてる人本当に多い。

そもそも土地持ちが多い。そんなナチュラルに皆土地持ってんの?ってくらい土地持ちが多い。

親の土地に家建てるから費用は格安だの、車買ってもらっただの、親に子供見てもらえるから早々に仕事復帰できるだの援助のレベルが桁違い。

また皆地元を出てない分、似たような環境の幼馴染レベルの友達も多いから孤独にもなりにくい。

 

うちの両親はそんなもの一切なかったので家買うのも遅くて賃貸暮らし長かったし、今の実家も中古だし、

車も中古でした。(しかも東京車なくても生活できるからすぐ売ってそこからずっと車なし生活)

小中学生時代を振り返ってもそういう子は少なかった気がします。(いても離婚家庭とか)

でも私はそれが普通というか、貧しいとも思ってなかったし何かを我慢した記憶もないし。

そんなものだと思ってた。

かくいう今の私たち夫婦も家を建てるのに親からの援助はほぼ貰ってないし、車も自分たちで買ったし(軽だけど笑)。

この町にもちろん友達はいないし、私には兄弟もいないし、夫はやってくれるけど日中は当然いないのでワンオペの時間は長い。

 

なんか住んでる地域や環境によって育児における土台がここまで違うのか…とこの町に来て本当に思い知らされました。

 

別に両親に対して「なんでうちは!」と思ってるわけではないです。

むしろどちらも慣れ親しんだ地元から離れて上京して援助もない中、私をここまで育ててくれて単純にスゲーな…ありがとうございますの気持ちでいっぱいです。

ただ"核家族育児の現実"ってものを目の当たりにして椅子から転げ落ちてるだけです(笑)

 

だから俯瞰して見たときに「あ、自分で思ってるよりも今孤独に陥りやすい環境で育児してるんだな」って少し自覚できたんです。

大きな援助があるわけでもなく、周囲に気心知れてる人は皆無の状態で、元々母性が薄くて慣れない育児して、しかも子は通院が多く医療的ケアが必要な子とあれば…

ちょっとぐらい病んでもいいじゃねーか

そんなにイージーな環境じゃないんだからあんまり自分を責めすぎないようにしようって少し開き直れました。

土台がちげーーんだよ、土台が!!!って(笑)

 

マイルドヤンキーにも大変な部分はあるとか、もっと過酷な環境で育児してる人はたくさんいるとかいうマウント合戦したいわけではないのであしからず。

「人には人の地獄がある」ですよ。別に地獄とまでは思ってないけど。

 

日本の育休の話

こないだXでとあるポストを見かけました。

『日本は諸外国に比べて育休の期間が長い。でもそれは決して母親に優しいからではない。

諸外国の母親が短い育休ですぐ仕事に復帰できるのは、シッターやナニー・父親など母親以外も育児に参加して「社会で子供を育てる文化」が根付いているから。

日本は長い期間育休を取らねばならないほどに育児の負担と責任が母親に集中してる。』

も〜〜〜それなオブそれ!それそれそれそrrrrrrいいね100回押しました(誇張表現)

 

人間は社会的動物なのでそもそも1人で育児できるようにできてないそうです。

そういった意味では家族が集まって大きなコミュニティを形成して育児をするマイルドヤンキー的生活は

「子育て」という観点にフォーカスすれば本当に「人間のあるべき姿」なんだろうなぁということを最近本当に考えさせられます。

(でも小さな地元で人生終わりたくない気持ちに5000% 共感する側の人間なので良いなとは思うけどやっぱりなりたいとは思えない…

生まれた時から見知った人達だけに囲まれてイオンとホームセンターばっかり行く人生は嫌…)

「社会で子育て」…もう今の日本ではおとぎ話のように感じられるくらい無理ゲーではあるけどそういう社会になってくれないと核家族育児は…死ぬ…。(遺言)

 

何が言いたいのかオチが迷子になってきましたが、要するに自分責めすぎて病むくらいならたまには外的要因のせいにして気持ち楽にしよってことと

ジモティーで友達でも探すかな!!ってことです(笑)

 

ちなみに私は超暗黒黒歴史な小中学生時代を過ごしてきたので被害者ヅラして

「周りに友達がいない><」と嘆いていましたが、そもそも昔住んでた土地で子育てしたとて友達は皆無だったと思います。

自業自得!これにて閉店!

 

 

 

晩婚・晩産・核家族育児の連鎖が影響して息子に寂しい思いをさせないかそれだけが不安です。



 

 

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