向いてないけど、母になりました。

ことごとく育児に向いてない30代女の日々奮闘記

「あるがままを受け入れる」の難しさ

どうもどうもしらすです。

もっとブログ書きたいよーなかなかうまくいかないよー。

そんな毎日です。

 

さて息子は前々から書いている通り左側完全唇顎口蓋裂という先天異常があります。

簡単に言うと唇と上顎が割れていて左側の唇と鼻が繋がっている状態です。

唇を繋げる手術がまだなので、口唇口蓋裂のことを知らない方からするとパッと見のインパクトは強いかもしれません。

 

それでも私たち夫婦は子供を連れて子育て支援センターも行くし、スーパーにも行くし

お互いの友達にも紹介するし、風が気持ちいい日にはベビーカーのひさしを開けて散歩もします。

賛否両論あるかもしれないけど私たちにとっては他の子と何一つ変わらない「我が子」であるし

子自身まだ何も分かってないうちから「子供にとって良い刺激となる機会」を減らしたくはなかったんですよね。

 

勿論今まで周りから色々な反応を頂くことがありました。

お互いの友人には事前に口唇口蓋裂があることは伝えていたので特に違和感なく接してもらいました。

近所の奥さんには「あら!口唇口蓋裂の子?うちの兄も口唇口蓋裂だったの。でも綺麗に治るからね^^」とエールを頂いたこともありました。

子育て支援センターではあえて唇のことには触れない人がほとんどでした。

1人のお母さんだけ「鼻の下のテープは毎日替えてるんですか!?お風呂入ったら剥がれないんですか!?」と謎の質問責めにあったことはあるけど(笑)

愛育会の方には「失礼かもしれないけど、答えたくなかったらいいけど手術はいつ頃なのかしら?」とすごく気を遣われて聞かれたこともありました。

散歩中たまたま通りがかったおばあちゃんに面と向かって「可哀想!」と言われたりもしました。

挨拶に行った職場のパートさんにも「可哀想にねぇ😢」と言われたこともあります。

 

目に見える異常がある子を人目のあるところに連れて行ってるので様々なことを言われるのは無論承知の上です。

それに対しては良いも悪いもなくてただただ「人によって様々な反応があるなぁ」と思いました。

そりゃ「可哀想」と言われるのはつらいし悲しいです。

だって「可哀想」って言葉には「自分じゃなくて良かった」っていう見えない語尾がついてるから。

口唇口蓋裂に限らず「周りの"可哀想"という目線そのものが本人を"可哀想"にさせる」場面はたくさんありますしね。

(と、「一人っ子可哀想」爆撃を受けてきた一人っ子当事者の私は強く思う)

 

でも逆の立場に立ってみるとまぁ実際難しいよねとも思います。

「見た目で分かる先天異常を持ってる子を目の前にしてどのように振る舞うのが正解なのか」。

正解なんてものはないのかもしれないけど、当事者の親である私ですらどういう反応が一番良いのか分からないもんなぁと思ってました。

本当の意味で「"ハンデを受け入れる""受け止める"ってどういう反応なんだろう」って。

 

先日のGW、義姉と甥っ子が遊びに来ました。

甥っ子は小学6年生の男の子。男3兄弟の末っ子です。

自分が一番下だからか従兄弟にあたる息子が産まれてくるのをすごく楽しみにしていて

産まれてからもミルクをあげたりオムツ替えたり甲斐甲斐しくお兄ちゃん風を吹かせていて見ていて微笑ましかったです。

 

甥っ子が「ねぇねぇ俺と息子くん似てる!?」って聞いてきたことがありました。

私が「んーそうだね。結構目元とか鼻のあたりが似てるかもねぇ」と答えたんです。

そしたら「じゃぁもし俺も唇が割れてたらそっくりだ☺️!!」って言ったんです。

 

なんだろ。それがねぇ、なんかねぇ、私すごく嬉しかったんですよね。

嬉しかったというかほっこりしたというかとにかくプラスの方向に感情が動いたんです。

今まで色々な場所に息子を連れて行って色々な人に色々な声かけをしてもらいました。

そりゃ「可哀想」と言われたこともあったけど大半はすごく優しく接してもらいました。

「可愛い」もたくさんたくさん言ってもらいました。

なのになんで甥っ子のあの何気ない一言にすごく心動かされたんだろう?って。

なんでだろう?って考えてみたんです。

 

で、なんとなく気付いたこと。

皆すごく優しく接してくれてるけどやっぱり根底として

口唇口蓋裂」という先天異常ができればない方がいいと思ってるだろうなということ。

そりゃ当然大大大前提として口唇口蓋裂がないならない方がいいです。

見た目のことは勿論。産まれたときから通院しなくても良いし、つらい手術もしなくていい。

本人だってない方がいいと思うに決まってるし、親の私だってそう思ってる。

それはもう当たり前の感情です。

だから周りの方々のなるべく見ないように、なるべく触れないように、という優しさも痛いくらい感じていました。

 

でも甥っ子は「もし俺も唇が割れてたら〜」ってそのハンデがあってもいいように話してくれた気がしたんです。

唇が割れずに産まれてきた子が「もし自分の唇が割れてたら」とすごくナチュラルに想像してくれて

かつ、そのことに対してなんのマイナスな感情も抱いてないような口ぶりがとても目から鱗だったんです。

親である私ですら「もし自分が口唇口蓋裂だったら…きっと色々辛いだろうな。それを息子に背負わせてしまったんだな」ってマイナスなことを考えてしまっていたのに。

口唇口蓋裂」はもちろんない方がいい。でも、別にあったって良い。

甥っ子にそこまでの感情があったかは分からないけど(笑)あまりにナチュラルな言い方に私はそんな想いを受け取った気がしました。

 

「あるがままを受け止める」「まるごと受け入れる」「受容する」ってこういうことなのかなとすごくハッとさせられました。

そりゃない方がいい。ない方がいいけど、現実問題実際にはあるんだし。

だからこそそこで思考を止めずに「でも別にあったって良いじゃない」って思う。

簡単なようですごくすごく難しくて、それを甥っ子が目の前でサラッと言葉にして見せてくれて本当に勉強になったというか…なんていうか、うまい言葉が見つからない。

甥っ子もこれからどんどん大人になるにつれ、そんなシンプルな感情は段々削ぎ落とされて行ってしまうのかもしれないけど

あのとき息子に向けたシンプルな言葉と感情だけはどうか忘れないでいて欲しいなって思いました。

 

話は少しスライドしてちょっと昔話をします。

私は美術系の高校に通っていたので自分も周りの友達もみんな絵を描く人でした。

高校3年生の卒制制作シーズンの時、友達の一人が自分の作品や家庭環境や進路について悩みに悩み悩み抜いた末、頭丸坊主にして登校してきたことがあったんです。

綺麗な黒髪ストレートで顔もすごく可愛らしい子だったのにリアル峯岸みなみ状態ですよ。

その子の教室に行ったら、その子の周りにバリアでも張ってあんのか?ってくらいみんな彼女から離れていて。

もうあまりの衝撃ぶりに誰も彼もどう接して良いか分からなかったんですよね。

同じ部活だったのでもう1人の友達と一緒に彼女を迎えに行ったんです。

でももうどう声をかけたら良いか分からなくて。

「大丈夫?」とか「どうしたの?」とか「なんかあった?」とか色々頭に思い浮かぶけどそのどれもが違う気がして。

そうやってまともな声かけもできず頭グルグルさせてたら、もう1人の友達がおもむろに彼女の頭撫でながら

「これ、水泳帽被ったら頭ツンツンって出るやつじゃーん!」って言ったんですよ(笑)

隣で私もうビックリで。え?絶対違うよね?絶対その反応だけは違うよね!?ってハラハラしてたんです。

そしたら彼女も「いや意外と頭ツンツン出ないんだよ〜!もうちょっと伸びたら出るかもね!」って返してて。

え?会話成立した??合ってた??今ので合ってたの?!

そのあとも特に何の違和感もなく淡々と他愛ない会話が続いて行ったんです。

あまりにナチュラルな会話成立ぶりにえ?私がおかしいのか?この子らがおかしいのか!?って当時18歳の私は大パニックになりまして(笑)

 

でも「その子のまるごとを受け入れる・受け止める」ってまさしくあの場面だったんじゃないかなって今になって思ったんです。

髪の毛があってもなくて病んでても病んでなくても、その子がその子なのには変わりない。

それを一瞬たりともブレずに接することができるって簡単なようで本当はめちゃくちゃ難しいことです。

友達も甥っ子もとても自然にそれができていたのに、当時18歳の私も今の私も全然できていないことを痛感させられました。

 

この友達の対応が、甥っ子の対応が、当事者にとって正解だったのかどうかは分からないです。

息子からしたらそんな風に言われることすら嫌かもしれない。

当事者の気持ちは当事者にしか絶対分からないので、たとえ身近にいる親でさえその本当の気持ちを知ることは難しいと思ってます。

でも少なくても私自身はその甥っ子の言葉に救われたし、新しい気付きもあったし、自己反省させられる点もたくさんありました。

いつか甥っ子のように、あのときの友達のように目の前の人を一瞬たりともブレずにあるがままを受け入れられる人間になれたらなと思ったりしました。

道のりは険しい。

 

そんなことを思ったゴールデンウィークなのでありました。

再来週にはついに息子の口唇裂縫合手術です。頑張れ息子よ!!

ではかしこかしこ。

 

 

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