向いてないけど、母になりました。

ことごとく育児に向いてない30代女の日々奮闘記

母の育児。私の育児。

ハローハローしらすです。

今日は雑談しようかなと思います。

 

子供が産まれてから母に「私のときはどうだった?」と相談がてら母の育児エピソードを聞く機会がかなり増えました。

聞いたことある話もあったけど初めて聞く話も多々あって、これが結構面白い。

母は娘の私から見てもゴーイングマイウェイで破天荒で楽天家で気も強め。

当時は今よりもっと母性神話が強い時代だったと思うけど、そういった母親像とはまた全然違うタイプです。

まとめたらちょっと面白そうかなと思ったので聞いた話を今回書いてみようかなと思います。

 

母の妊娠エピソード

母は34歳で私を出産しました。

当時30歳を過ぎたら高齢出産とされていたため「病院で高齢出産のマル高マークつけられたわww」と笑ってました。

年齢なんてミリも気にしてない母(笑)

 

この時代、女性の喫煙者は珍しかったらしいですが母はゴリゴリのヘビースモーカーで妊娠を機に頑張って禁煙したと言ってました。

煙草買っては「吸ってはダメ…」って言いながら水に沈めてたって言ってた。コワ(笑)

ちなみに出産後は喫煙再開して、私はよくライター付け係してたのを覚えてます(笑)

 

一度早期胎盤剥離になって入院。

退院後、里帰り出産するため臨月手前で単身飛行機で東京から福岡に帰省。

(父は仕事のため東京に居残り)

身重の状態で福岡空港に着いたのに連絡していた親族は誰一人迎えに来なかったそうです。

「なんでだよ!?」と思いつつ、母はそのまま大荷物抱えて1人空港から家まで移動。

そしたら玄関に「お父さん(私の祖父にあたる)が倒れました。○×病院にいるからすぐ来てください」って貼り紙してあったそう。

母が帰省したその日に母の父(私の祖父)は脳梗塞で倒れ、家族全員妊婦の世話どころじゃなかったそうです。

結局大荷物抱えてまた1人病院に向かう母。

最終的にかなり父(私の祖父)の面倒も見ることになったようです。

(あ、ちなみに祖父はこのときは元気に復活しました)

さぞ心配だったかと思えば「誰が私の面倒見てくれんだよ!?!?」と終始ブチギレだった模様(笑)

 

母の出産エピソード

早期胎盤剥離を起こしたことはあれどお産自体は3時間のスピード安産。

2800g台の小柄で産まれたしらすベビー。

「小さく産んで大きく育て」とはまさにこのことで現在34歳の私168cmあります(笑)

 

ちなみに母が陣痛で悶え苦しんでる間、近くにいた看護師2人が

「このお産が終わったら一緒に伊丹十三の映画観に行こ〜🎵」ってずっと話してたらしく

「産み終わったら覚えてろよ」と思っていたそう。心中穏やかではない(笑)

 

しらす赤子エピソード

母は当初母乳育児をしていましたが、何もしないのに心配性だけは爆発してる父が

毎日のように「今日は何ml飲んだ?」「今日は何ml飲んだ?」としつこく聞いてくるのが相当ウザかったらしく。

「これで何ml飲んだか分かるでしょ!?」と、母乳が出なくなった訳でも母乳拒否になった訳でもないのに完ミに移行(笑)

 

いつまで経っても指しゃぶりをやめなかった私。(結局年長ぐらいまでやってた記憶ある)

母自身は「そのうちやめるでしょ」と何ひとつ気にしてなかったようですが、

またもや何もしないのに心配だけは一丁前の父が「どこか電話相談した方がいいんじゃないか?」と何度もしつこく母に言ったそう。

あまりに言うので父を大人しくさせるためにも今でいう発達外来に渋々電話。

しかし「お母さんの愛情不足なんじゃないの?」と言われブチギレ(笑)

「うるせぇぇぇ!!!」と電話をガチャ切り。(「本当に言った」って言ってた笑)

 

ある日は、母は父に私の子守をお願いして自室でイヤホンつけて英語の勉強(eラーニング的な)をしてたそう。

頼まれてたはずの父はあろうことか大爆睡。

赤子の私は廊下で何時間もひたすら泣き続け、そのままその場で泣き疲れて気絶してたなんてエピソードも初めて知りました。

いや狭い家なんだからどっちかはよ気付けや(笑

そしてつくづくポンコツな父。

 

思い立ったら即行動の母。

今で言うところのワンオペ育児に疲れ果て、私が生後3ヶ月のときに京都へ単身逃亡。

「山積みの洗濯物を見たときに何かの糸がプッツン切れた」と言ってました。

ちょうど3ヶ月健診に夫婦(両親)2人で行く日に新幹線で京都へ逃亡したそうです(笑)

一応心配になって京都駅に着いてから家に電話したら動転しまくった父に

「1人で3ヶ月健診連れてったぞ;;;;もっと育児協力するから早く帰ってきて;;;」と泣きつかれ、なぜか京都で髪だけ切って自宅に帰ったそう。

 

あと当時アパートの2階に住んでいたしらす一家。

冬のある日。まだ赤子の私と母で出かける際、誤って私はアパートの外階段から一番下まで転げ落ちたらしいです。

しかし無傷。

「真冬だったからもっこもこに厚着させててそれが良かったね★」って母笑ってました。

怪我してたら大問題だけど何事もなかったならまぁOK!とする姿勢は母親やる上で意外に大事なマインドかもと聞いててちょっと思ったりもしました。

私だったらたとえ無傷でもずーーっと自分のこと責めて病みそうな気ぃするもんなぁ。

令和の今、SNSとかに呟いたら炎上案件だろうけど(笑)

 

私は一人っ子なんですが、よく「一人っ子は過保護で丁寧に育てられたでしょう」とか言われますけどマジ家庭による。(ソースは我が家 笑)

私も育児で鬱になったり病んだり色々してますが「息子が3ヶ月のときに京都に逃亡してないだけマシかな…」っていつも思うようにしてる(笑)

 

母の育児エピソード

いや本当色々ヘビーな母ですが(笑)育児にはすごく熱心に向き合ってくれたと思っています。

元々読書好きの母。私が産まれるにあたり図書館にある育児書はほぼ全て借りて読んだと言ってました。

 

あと私が幼稚園に行く前日まで毎日公園に連れて行ってくれたそう。

雨の日も風の日も「大晦日にも連れて行ったけど誰もいなかった」って言ってました(笑)

なので幼稚園登園初日「なんで今日は公園行かないの!?」と私はめっちゃ騒いだそうです。

いやそうなるよね文字通り365日行ってりゃぁね。宮沢賢治かよ。

『育児は待つこと』が信条らしく、私がどれっだけ公園でずっと遊んでても「置いてくよ!」とかは言わずひたすら待っていてくれたそうです。

「全然帰ろうとしないからずっとあみんの"待つわ"歌ってたわ」言ってた。

 

一人っ子だったため社会性を身につけて欲しい思いからかガールスカウトやらジュニアリーダーなど青少年団体活動はやたらいっぱいやってました。

幼稚園頃から保護者付き添いなし子供だけの宿泊学習体験みたいなものにもめちゃくちゃ参加してた記憶があります。

母いわく、まだ小さい私は不安から「お母さんと離れたくない😭」って泣いてたそうですが

「つらくなったらすーぐ帰ってきて良いからね〜〜〜^^^^」とか言ってそういう体験にブチ込みまくってたそう(笑)

当の私も初めは1人にされるし、周りは知らない子・大人たちばかりで不安だったけど最終的には色々友達もできて楽しかった記憶の方が多いです。

荒療治的ではあるけど幼少期から「自分が動かなきゃどうにもならない環境」にぶち込まれまくったことは今でも活きてる部分が多く、本当に良い経験をさせてくれたなぁと感謝しています。

 

母自身もやりたいことがいっぱいあるタイプで私が産まれてからもそれは変わらずでした。

確か私が幼稚園か小学校低学年頃から母は劇団に入っていて何度か舞台に立ったりもしていました。

小さいながらに「演技をして別人になっている母の姿」「母なのに母じゃない」という感覚はすごく新鮮だったのを覚えています。

油絵も好きでよく習いに行っていて、今でも私の実家には母が描いた大きなキャンバスの油絵が至る所に飾ってあります。

 

母自身が唐突に年越しカウントダウンディズニーをしたくなったらしく

晦日当日夜に突然「今からディズニーランドに行くぞ!!!」と言い出して私も父も大慌てで支度。

結局人混みの嵐でディズニーに入ることすら難しく(当然 笑)なぜか東京駅のホテルに泊まるっていうこともあったりしました。自由が過ぎる

 

他にも色々あるような気がするけど長くなるのでこの辺で(笑)

 

総括

世間的には「母親になったら子供中心で自分の人生は終わり」という印象が、昔に比べてなくなってきたとはいえ今だ根強く残ってる気がします。

私が産まれた30年以上前なら尚更です。

でも私は自分の母に焦点を当てて、これまでを思い出したら決してそんなことはなく

「母は私をちゃんと育てた上で、今思えば自分のやりたいこともやりまくってたなぁ」っていうイメージしかありません。

今も毎日10km自転車走ってたり、卓球やってたり、紙芝居サークル入って小学校廻ってたり、相変わらず舞台立ってたりやりたい放題。

今の目標は「山手線全駅降りて散歩する」だそうです(笑)

 

だからこそ自分を殺さず、子の人生と自分の人生どちらも充実させることはきっと可能だと思ってます。

現に私の母はそうだったのかなという気がするし。

だから自分自身もそうなっていきたい。いや絶対なってやろうの気持ちが強いです。

🎵あぁ憧れのポケモンマスターになりたいなならなくちゃ絶対なってやる〜🎵(???)

まだまだまだまだ模索中ですけど。

 

破天荒で私にはないポジティブエネルギーをめちゃくちゃ持ってて、破天荒がゆえに理解できない部分も多々あったりするけど(笑)なんだかんだ私は母がとても好きです。

憧れる部分も正直多い。

でも母と同じになりたい訳ではなく、母の良いところは取り入れて自分にしかできないやり方は尊重して模索して私は私なりの「母」になれたらいいなと思っています。

(母はこんなタイプなのでま〜〜〜ぁ仕事が続かないんですよ(笑)

そこが良くも悪くも私と母の大きな違いなので必然的に色々違ってはくるはず)

そしてそんな私の姿がどう映ってどう感じるかは息子のみぞ知る訳です。

 

何が言いたいかよく分からなくなっちゃったけどハー今日も頑張ろ!!

 

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