やっぴーどうもしらすです。
今日はちょっと重くてスピっぽい話だから苦手な人は回れ右で!
ブログのタイトル通り私は育児や母親になることについて全く向いてないと思っています。
事実、悩みまくり妊活⇨ゲロ病み不妊治療⇨トラブル有り妊娠⇨痛みコンプリート出産⇨ゲロ病み新生児育児⇨現在に至るまで
「楽しい!」「幸せ!」より「つらい」「しんどい」みたいな感情の方が圧倒的に多かったです。
そもそも自分にしか興味がないタイプだし母性神話も大嫌いだし、今でも慣れない生活に居場所の無さみたいな孤独を感じます。
そんな、そんな私でも「本当に子供を産んで良かった」と思えたことがあるのに気付いたので今日はそのことについてちょっと書いてみようかなと思います。
まずは"恐怖症"の話
この話、母親と夫以外の誰にも言ったことがなかったので書くのちょっと緊張します。
私は幼少期から元々ひとつ恐怖症みたいなものを持ってました。
実はその恐怖症にはちゃんと名前があって、それに苦しんでるのは自分だけじゃないと知ったのは30歳も越えたつい最近のことです。
それが『死恐怖症』(タナトフォビア)です。
「高所恐怖症」が高い所に極端な恐怖を感じるのと同じように「死ぬこと」に対して極端に恐怖を感じるのがこのタナトフォビアです。
確か小学校中学年〜高学年あたりからこの恐怖症と付き合っていたように思います。
「自分が死んだらどうなるのかが怖い」
「お母さんやお父さんが死ぬのが怖い」
「死んだら無になってしまうの?」
それに付随して輪廻転生や宇宙など"無限"を想像させるものも昔からすごく苦手でした。
(これはまた「無限恐怖症」(アペイロフォビア)という別の名前があるらしい)
症状としてはそういったことを考え出すと頭の中が全てそれに支配されて、いてもたってもいられなくなります。身体的症状としては
・大声で泣く
・過呼吸
・叫びながら走り回る(これが一番多かった)
・手足が震える
・眠れない
などの症状が頻繁に出て、何時間もかけて母親に宥めてもらうのが日常茶飯事でした。
発症したキッカケは覚えてません。
母親いわく「ベトナム戦争の話をしたことがあって、内容がショッキングすぎたのが原因かも」なんて言ってましたが
私自身、幼すぎてベトナム戦争の話をされた記憶すらもないのでなんとも分からない(笑)
大人になってからは恐怖症に苛まれる回数も減り、表に出る症状もだいぶ治ったものの
すごく疲れてるときや精神的に不安定なときはやっぱり何度か顔を覗かせていました。
「どうにかしたいなぁ」と思いつつも面と向かって向き合うのがあまりに怖すぎて何十年もなるべく考えないよう騙し騙し生活してました。
それでもやっぱりなんとかしたくて20代後半から意を決して「死」に関する本を何冊か読んだことで自分なりの着地点を見つけてだいぶ症状は改善されていきました。
あと本当に大切な愛猫の死も悲しかったけど恐怖症にとってはすごく良い影響をもたらしてくれました。
ちなみにオススメの本はこれ⇩
(科学の観点から"死"を見る本。オカルトっぽいけど面白かった)
それでもやっぱり死んでみないと分からない内容の恐怖症でもあるから「寛解」という訳にはいかず、あくまで「めちゃくちゃ改善されてきた」に近い感じでした。
死ぬのがだいぶ怖くなくなってきた
それが子供を産んだことでその恐怖心がものすごく自然と剥がれ落ちていってることに気付いたんです。
いつどのタイミングでそう感じたかはあまりハッキリとは覚えていません。
少なくとも妊娠中はずっと「死が怖い分、お腹に"生"が宿ってること自体がもう恐怖」と思ってたから産まれてから実感したんだとは思う。
まず思ったのが「"命"ってこんな強制的にスタートさせられるんだなぁ」ってことです。
始まりは確かに夫婦(両親)が始めることなのかもしれない。
でもひとたび受精してお腹に宿ったら子供本人の意思も母親である私の意思も飛び越えて命はとんでもない早さで成長するわけですよ。
そしてあっという間に産まれてきて、訳もわからんうちにどんどん大きくなって、今や息子は「まんままんま」言うて目の前で寝返りとかしてるわけですよ(笑)
命のスタート(誕生)って誰にも制御できないというかとんでもない強制力と勢いで始まっていくんだなぁっていうのをそのとき痛感したんですよね。
ここでは分かりやすく「死」を「ゴール」と例えますが、ゴールにビビってる余地もない勢いでスタートさせられる感がすごい(笑)
そこに本人の意思はひとつも考慮されないくらいの強引力。
だから、なんというか、いい意味で少し諦めがつきました。
いやもうめちゃくちゃ勝手に始まってるから多分めちゃくちゃ勝手に終わるよねこれ???みたいな(笑)
元々私一人の力でどうにかできる問題じゃないのは重々承知だけど、それを改めてとんでもない圧倒感で思い知りました。
じゃぁもう悩んでも無理!!!解散!!!!という感じ(笑)
あとは、もしこの先私が死んでも息子はまだこの世にい続けるんだっていうことがこんなにも心の安心に繋がるとは思いませんでした。
なんだろ。「年老いても傍にいてくれるから安心」とかそういう"安心"じゃなくて…(そもそも私が生きてる間の安心感の話はしてない)
存在が、いるだけで、うーん。うまく言葉にできない。
自分が死んだらこの世がどうなろうがもう関係ないのに、それでも自分が生きてきた世界に今まで共に過ごした人がまだ残ってくれているというのは
言葉で伝えきれない…なんともいえない…こんな頼もしい気持ちになるんだなと思いました。
それがパートナー、友達、兄弟、恩師とかでも思うのかもしれないけど子供ってまた違うのかなっていうような気はする。
これは産むまで本当に分からなかった感情でした。
ホーーント月並みになってしまうけど『命のバトンを繋ぐ』という言葉の意味が少し分かったような気がしました。
なので息子自身が産まれたかったかどうかは分からないけど、少なくとも私は息子が産まれたことで救われた部分があることは確かです。
10歳前後から今まで20年近く付き合ってきた恐怖症の壁がこんなにも柔らかく自然に剥がれ落ちていくものかと驚きました。
死ぬまで「克服」することはないと思ってるけど「死」への印象はだいぶ変わってきたかなと思います。
そう考えると「子供を産む」なんてやっぱり1から10まで親のエゴじゃんって思いました。
元々「親のエゴに決まってるじゃん。え?そんなの当たり前では?」って思ってたからそこらへんはノーダメージですが(笑)
なんだか自分で言うのもあれですがすごく自分らしい「子供を産んで良かったこと」だなと思いました。エゴぶり全開な感じが。
この話とは全然関係ないですがカウンセリングにも通い始めています。
心理カウンセリングというとどうしても暗くて重い印象持たれがちだけど、すごく建設的な話ができてとても楽しいです。
なんか少しずつ自分が何に悩んでるのか、どうしたいのかが見えてきた気がします。
心の中を探検してる感があって面白いです。宝箱見えそうでまだ見えない!(笑)
やーーっぱ心理学面白いなぁ。心理学に精通してる人と話すの本当に面白い。
そんな感じで相変わらず日々育児のドタバタはあれど案外(?)穏やかにやっております。
それでは今日はこの辺で。
かしこかしこ。
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