お久しぶりですしらすです。
本当はね、育児のこととかね色々書こうかなとか思ったりもしてたんですが
一旦さて置き『ルックバック』観てきたよ!!!
「チェンソーマン」原作の藤本タツキ先生の読切漫画が映画になった作品です。
読切漫画が公開になったときもすごく話題になりましたがそれが今回劇場版となりました。
もちろん読切漫画も読みましたが、本当に心に刺さったので映画化の話が決まった時点で絶対観に行くと決めてました。
幸い上映時間も58分と短かったので夫に子を見てもらってササッと観てきました!!
感想をね、感想を書こうと思うんですが、感想というか今までの自分と重なる部分も多くて感想なのか自分語りなのかよく分からなくなりそうだけど書きます。
よくXには「底辺絵描きごときが自分と重ねてクリエイター面してルックバック語ってるの気持ち悪い」とよく揶揄されてますがまさしくソレなので嫌な人は読まないでね。
ちなみにネタバレというか原作が↓で読めますので貼っておきます。
映画はこの原作に忠実で映像ならではの脚色が足された本当にいい塩梅の作品でした。
「分かる」のオンパレード
しょっぱなからゴリゴリに自分語り挟みますが、私は絵を描く人間です。
別に絵を仕事にしてる訳でも飛び抜けて上手な訳でもないけど幼い頃から絵を描くのが大好きでした。
バカみたいに毎日描いてました。
結局中学卒業する頃になっても絵が描きたい気持ちは止められず、高校は美術系専門クラスのある学校に進学しました。
そこで絵を描く友人がたくさんでき、二次創作という世界に出会い、
結局そこから10年以上同人活動を通して本気で絵を描く趣味にどっぷりと浸かる半生を送ってきました。
それを踏まえた上で。
泣くシーンでもないのに冒頭5分くらいからハンカチ片手にめっちゃ泣いた。
小学生時代の藤野の何もかもが「ワカル」の連続で過去の記憶がガンガン蘇ってもうダバダバでした。
学級新聞で4コマ任されてクラスの皆にちやほやされるのも分かるし、
「私ってめちゃくちゃ絵上手」って天狗になるのも分かるし、
そこで自分より遥かに絵が上手な人間に出会って井の中の蛙であったことを思い知らされるのも分かるし、
「絵が上手くなる方法」を調べたり本屋にデッサンの本買いに行くのも分かる。
春になっても夏になっても秋になっても冬になっても朝になっても夜になっても机にかじりついて絵描くのも分かる。
褒められたときの高揚感、上手な人を見て自分の絵が恥ずかしくなる挫折感、昨日よりちょっと上手く描けるようになったときの達成感。
そのどれもが全て鮮明に蘇ってきて胸の中がいっぱいいっぱいになってしまいました。
「分かる」エピソードもうちょっと語らせてほしい
「中学で絵描いてたらオタクだと思われてキモがられちゃうよ?」も分かる。
誰に言われた訳でもないけど自分自身でずっとそう思ってる節があって、中学時代はいつも家だけでこっそり描いてました。
高校卒業しても「絵描きたい」以外の感情がわかなくて、でも到底絵で食べていける自信も実力もなくて
何にもならないのに一体いつまで私は絵を描いてるんだろうって漠然とした不安をいつも持っていたのを思い出しました。
自分より絵が上手い京本に褒められて雨の中ダンスして帰り、ずぶ濡れのまま机に向かうシーンも分かりすぎて大号泣でした。
大学時代、頑張って出した同人誌の新刊。
当時話の構成も絵も大好きで憧れてた作家さんがなんと本を買いに来てくれて
「前回の新刊も読みました。すごく面白かったです!!」と声をかけてくれたことがありました。
こっちは緊張でまともな受け答えもできずひたすらアワアワ。
作家さんが本を買い終わって背中を向けた瞬間、滝のように涙が出たのを今でも忘れません。
家に帰ってすぐ次の新刊のためのネームを描き始めたのも覚えてます。
自分が出した作品を誰か一人にでも認めてもらえる。
人生の中でこんなにも嬉しくて達成感に満ち溢れて幸せなことがあるのか!?って思いました。
あのときの気持ちはずっと新鮮なまま記憶しています。
他にもいっぱい…いっぱい「分かる」「こんなことあったなぁ」の連続でした。
藤野の「やーめた」
この一言もすごく共感しました。
原作ではその後京本と出会い、藤野はまたペンを握るようになりますが私自身は26歳のときに「やーめた」と絵を描くのをやめました。
その頃は個人サイトからTwitterやPixivなどのSNS移行最盛期で描いた絵全てに「いいね」という名の数値評価がつく走りの時代でした。
またSNSが普及したことで世の中にはこんなにも絵を描く人がいて、こんなにも魅力ある絵を描く人で溢れているということを知ったタイミングでもありました。
井の中の蛙、大海はもう知ったと思ってたらそれはまだまだ序の口で世界にはもっともっと広くて大きい海があることを思い知ったんですよね。
上には上がいる。到底敵わないほどの努力をしている人が五万といる。
だったらこんな大して評価もされない絵しか量産できない自分は絵なんて描かなくて良いんじゃないか。
でも、描きたい。もっと上手くなりたい。
「3日描かなくなったら取り戻すのに5日かかる」なんて言葉もあったので
腕が落ちるのが怖くて飲み会や遊びの誘いを断ってまで絵を描くこともしょっちゅうでした。
もうあの頃は仕事終わったら毎日毎日泣きながら家でクロッキーしてた気がする。
何描いても下手くそで気持ち悪い絵にしか見えず「お絵描き楽しい!」なんて感情も一切なくなってました。
何のために描いてるのかいよいよ分からなくなって、ある日突然文字通り「やーめた」と絵を描くのをやめました。
劇中でもあったひきこもっていた京本の部屋の廊下にあるおびただしい量のスケッチブック。
あの圧巻の光景。圧倒的努力の差。劇場で直視するのも苦しかったです。
かつて雲の上のように上手いと思った人達はきっとこんな私の何倍も何十倍も何百倍も絵を描いていたんだろうなということをあのワンシーンで思い知りました。
筆を折る者、折らなかった者
私は藤野や京本のようにプロになった訳でもないし、美大に進学した訳でもないです。
あの2人に自分の半生を重ねて物思いに浸れるほどの努力なんてしてこなかった自覚もあります。
美術系高校で一緒だった友人たちとは今でも連絡を取り合ってたまに遊んだりしています。
友人の中にはプロの漫画家になった子も何人かいるし、イラストレーターになって個展開いてる子もアパレルデザイナーになって世界飛び回ってる子もいます。
一方私は普通の大学に進学して、美術関係ない会社に就職して、結婚して子供を産んで今は絵からは全然離れた生活を送っています。
どちらが良い悪いでもないし自分で選択してきた人生なので不幸だと思ってる訳でもない。
それでもペンを握り続けた者とそうじゃなかった者の未来の方向性の違いに挫折感が全くないといったら嘘になります。
多分「頑張りきれなかった自分の情けなさ」とは一生付き合っていくんだと思う。
今でも筆を折らず描き続けてる友人の努力には本当にただただ尊敬するばかりです。
大人になった藤野と京本の姿はそんな高校時代の友人と重なるところがたくさんありました。
終始描かれる背中
原作でも映画の作中でも藤野がひたすら絵を描き続ける背中を映す描写がとても印象的でした。
季節や景色、洋服など周りのものは次々と変わっていくけれど机に向かう姿は一切変わらない描写にすごく胸を打たれました。
夢中になって絵を描く姿ってこんなにも眩しかったんだなって客観的に見せられてるようで涙が込み上げてきました。
ガムシャラに描いてた時期はもちろん楽しかったけど
「どうしてこんなに下手なんだろう」「こんなことして何になるんだろう」
っていう不安や劣等感や負の感情もいっぱい溜め込みながら描いてたので
あの時間がこんなにも眩しくて尊い時間だったなんてそのときには分かりもしませんでした。
こんな一底辺女が言うのもおこがましいけどあの背中の描写だけで過去の自分が救われたような気持ちになりました。
作中から聞こえてくる鉛筆やペンタブの音。
そのどれもが聞き馴染みがありすぎるのも本当にたまらなかった。
「創作」という自由、変えられない「現実」
作中では京本が進学した山形美術大学に男が押し入って、いわれのない理由で京本を手にかけます。
これが漫画だったら、創作の世界だったら、
いくらでも結末を描き直せるのに。
パラレルワールド的に場面転換され、藤野の一撃で事なきを得たシーンではそういった思いが伝わります。
でもいくら描いたって何を描いたって現実は変わらない。
紙とペンさえあればどんな世界でも生み出せるのが創作の醍醐味です。
それでも現実を越えられない「創作の限界」にこれまた涙が止まりませんでした。
「漫画なんて描くもんじゃない。読むもんだよ」
「じゃぁなんで藤野ちゃんは描いてるの?」
からの藤野と京本が共に絵を描き過ごすシーン。
そんなのさぁ、京本が自分の絵を待っててくれる。そんな京本と一緒に創作活動しているのが楽しかったからに…決まってるじゃんね……(情緒崩壊)
創作の原動力の原点というものを叩きつけられたような気分になりました。
絵を描くって地味だし面倒だし大変なことばかりだけどそれを一瞬で凌駕する楽しさ、喜び、幸せがあるんだよね…。
もう本当にお絵描きって麻薬……
事件の追悼
この作品は誰が見ても分かるくらいに京都アニメーション放火殺人事件を連想させる話の構成になっています。
そのことで作品自体賛否両論言われています。否定的な意見も十分過ぎるほど分かります。
私は被害者の方が知り合いにいる訳でも遺族でもない赤の他人です。
このことについて言及すること自体誰かを傷付けることになるのかもしれません。
でも個人的意見を言わせてもらうと私はこの作品を通して、より一層あの事件の悲惨さ・辛さ・怒りの気持ちが鮮明になりました。
テレビや新聞で「死者36名」と文字にして伝えられるその1人1人に京本のような「絵を描く人間の人生」があったことを痛感させられました。
こんな末端の末端の絵描きから有名な絵描きの方まで揃って「まるで自分のようだ」と思わせるような作品です。
きっと被害者の方達お1人お1人にも藤野や京本のような絵を描く人間ならではの喜びや挫折がきっとあったのかと思うと、もう、なんだろう。
そんな輝かしい努力の結晶を持った方々の命が奪われてしまったこと。
それが創作では描きかえることのできない現実であること。
言葉にできないやるせなさと怒りに胸が潰されそうになりました。
でもだからこそ忘れてはいけないと強く思いました。
この感想自体誰かの心を傷付ける良くないものであったとしたらすぐに削除します。
結論:本当にいい映画でした
あっという間だったとも短かったとも思わない濃密な58分の映画でした。
原作既読で結末を知っていたのにその世界観に引き込まれていきました。
「絵を描く」というほとんどが部屋の中で行われる作業に対して山形の美しい風景描写が本当に映えて美しかったです。音楽も良かった。
冒頭の「底辺絵描きごときが自分と重ねてクリエイター面してルックバック語ってるの気持ち悪い」という揶揄を引用して
こんな底辺絵描きごときの人間さえも救ってくれる絵描き賛歌の作品でした。
人生何も頑張れなかった私が中途半端でも最終的には結局全然ダメだったけどそれでも唯一一生懸命頑張ったのが「絵」だったから。
本当に観れて良かった。絵を描くの好きで良かった。
こんな自分語り満載の感想とは遠く及ばない感想を読んでくれてありがとうございました。
(嫌な人は一番嫌なタイプの映画感想だと思うし)
でも私は逆に皆の中にあるルックバックを知りたいし、聞いてみたい。
誰か書いたらぜひ教えてね。
ではではかしこかしこ。

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